~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
野望の芽生え Prt-02
九月の二十四日に覚慶は、一色藤長を居間に呼びつけ、一乗院脱出の労に報いるとして感状を与えた。二人を代表して一色藤長が受けたようなものであるが、将軍としてのものではない感状自体にそれほど重みがあるわけのものではなかった。
「しかしじゃ」
なんの感動も表わさぬ細川藤孝に、
「これで覚慶様もいよいよ将軍位につくという自覚があらわれたと見てよいことにはなる。喜ばしいことではないか」
と、一色藤長は感状を細川藤孝に突き付けて悦に入っていた。
中仙道をにらむ位置にある観音寺城の六角承禎は、戦国大名としてなみなみならぬ力を持っていた。
覚慶の油日への脱出を知った三好・松永ではあったが、承禎の配下にある和田惟政これまさの館へはすぐに兵を向けることは出来かねた。
しかし、また六角承禎も三好。松永を向うに廻し、覚慶を擁してただちに上洛するという力の自信まではなかった。
覚慶健在を知り、和田の館へはかつての義輝の近臣たちが一人、二人と駆けつけて来ている。しかし、細川藤孝の兄三淵みぶち 藤英ふじひでを別にすればそのどれもが頼りにならぬ者たちばかりで、二人を失望させていた。和田惟政に上洛実現を六角に働きかけるように命じはしても、返事ばかりが勇ましく、具体的に日を切って六角が動き出すということにもならなかった。
となれば、他に覚慶を奉じて上洛出来得る大名を早急に捜さねばならない。。上杉がまだ動けぬとなれば、朝倉、毛利、北条、武田、それに距離的に最も京に近い位置に織田が居た。覚慶は自分には力がないというが、血筋で力ふぁあると薩摩・藤孝はことあるごとに主張し、三淵藤英も上杉以外にも筆を取ることをしきりに勧めた。
織田は東海の雄今川義元を倒してからは、めみめきとその実力をあらわしている。一色藤長らにそう言われると、覚慶は輝虎への思いとは別に、とりあえず織田に内書をしたtめ、さらには武田にも出兵を求める筆を取った。意気盛んな織田は兵を送ってもよいという朗報を即座に返して来たことが、覚慶に血筋の力をやっと認識させたようであった。が、矢張り覚慶の気持は上杉輝虎を思ってやまない。なんとか武田・北条と和を結び、上洛出来ぬものかと再び筆を取っていた。
越後の輝虎に使者を送った十月初旬ごろより、和田館は緊張した空気に包まれだしていた。
「どうやら、三好の手の者たちが多く放たれて来ている気にござりまする」
惟政の報告に、一色藤長は顔色を変えた。事実ならいつ覚慶暗殺を企てて来るか知れたものではない。和田の屋敷を御所と称し、日々将軍としての形を整えようとして意気上っていた矢先だけに、藤長の衝撃は大きかった。
が、そのことを細川藤孝が耳にすると、不敵にも顔面に笑みを見せた。
「一色殿、それはちょうどよい折でもございまするぞ。かねてよりそれがしは、この油日の地はあまりにも山深い里でござるによって、上洛を画策するにはあまりにも不向きな地と思うておりました。幸い六角が領地に矢島がござれば、これを機会に御所を御移しすれば一石二鳥ではござるまいか」
野洲やす郡矢島は琵琶湖に船泊を有する木浜きのはまに接し、湖上交通の要地であり、上洛の意志を示した織田とは今後も連絡を取らねばならないとすれば適地といえた。
「それほどの地なれば、後々のことを考えれば便利と申すものじゃ。早速にも惟政殿にかけあい、御動座ごどうざのことを六角承禎に納得させねばなるまい」
やや短気なところもあるが、深慮遠謀にかけては、若い藤孝の方が一枚上手であると、かねてより一色藤長はそのことを認めている。
「では、早速にも惟政殿に手を打ってもらうといたそうほどに」
もはや晴々とした表情を取り戻す一色藤長であった。
覚慶は、はるか九州の島津にも出兵を求めている。島津が幕府を敬う気持が強いということは、義輝側近であっただけに二人にはわかっていた。九州の地から島津がまさか兵を送ることが可能であるとは、二人にも思えない。しかし、なんらかの援助は期待出来た。それをあからさまに書くわけにもいかず、出兵要請といった形を取っただけであった。
覚慶主従には今持てる財のなにほどのものもなかった。すべては六角や惟政の懐で生活している。上杉が動けず、武田も兵を送る余裕などはない。となれば、覚慶主従は織田を心待ちにしながらも、まだまだ六角の庇護に頼らざるを得ず、援助はどの大名からでも喉から手が出るほどに欲しかった。
2023/03/26
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