~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
野望の芽生え Prt-03
矢島移居はそんな最中の十一月頃に具体化し、二十一日に実現する。矢島越中守やじまえっちゅうのかみを惣領とする矢島衆が、早朝から和田館へ出迎えのために出張でばって来ていた。道中、いつなんどき三好の手の者が覚慶に害を及ぼすか知れたものではない。ものものしく武装した矢島衆に守られて、覚慶の乗った輿こしは出発した。晩秋の澄み渡った空と、すすきの白い穂が肌寒さを感じさせる風にゆれる道を、藤長・藤孝・藤英も幕府再興の夢に燃えて従っていた。
六角承禎が上杉輝虎に上洛を促す使者を向けたのは。その年十二月二日のことである。
この時承禎は、文中で覚慶のことをすでに公方様くぼうさまと言い、未来の将軍を擁していることにやや得意となって、帰洛きらくのことについて努力せよと輝虎におごった表情をつかって見せた。
単独では六角にも力がない。しかし、上杉の武力を利用すれば実現実現出来ぬ事ではなかった。上杉と共に天下を二分することも、また悪くはなかろうとの承禎の胸の内であった。
しかし、そんな腹の底の見え透いた承諾の誘いに乗る輝虎ではなかった。上杉からの返事の来ぬままに、
「あせらぬことだ」
失望の色も見せず承禎はその暮れのうちに一度矢島を訪れ、
「不足の儀がございますれば、なんなりとこの六角承禎めに御申しつけ下されまするように」
と、うやうやしく覚慶に拝謁している。
すでに承禎は、覚慶のためにこの地に二重の濠をめぐらせた二町四方の館を建造中である。それもこの暮れのうちには完成する筈であった。
大事な天下への駒である。覚慶を擁している限り損にはならぬと、この時承禎は考えている。
「いずれこの六角承禎、兵を蓄え、三好・松永を都より追い払う所存でござれば、それまではこの矢島の御所で御待ち下されたく願い上げまする」
頷く覚慶の意をうけて、一色藤長が、
「それは頼もしき御言葉。我らにとっても一刻も早く将軍家の御恨みをはらしたく思うておりまする。三好、松永はことを思えばやすらぐ日とてなき身、ましてや覚慶様にとりますれば、ご兄弟、ご母堂様の御恨みいかばかりかと察せられまするほどに」
一色藤長の言葉に承禎は、
「肝に命じ、この承禎、上洛実現にそなえまする」
と、平伏して答えていた。
その姿を細川藤孝は先程から冷ややかな目でみつめている。
「あてには出来ぬ」
その夜、一色藤長と杯をかわした折に、承禎のことをそう評した。
「六角では三好を討つほどの力はござらぬ」
世情分析ででも、細川藤孝の方が一枚上である。
「たんなる口先だけとも思えぬが」
藤長の反論に、しかし、細川藤孝は首を横に振りつづけた。
「そんなものかの」
承禎との会見で気をよくしていただけに、信頼する細川藤孝の言葉は重くひびき、一色藤長は急に肩を落とした。その気の毒な落ち込みように今度は細川藤孝が多少あわて、
「しかし、我らが動くのはこれからでござるぞ。いよいよもって忙しゅうなり申そうぞ」
元気をつける意味もあってか、快活に言ってのけた。
「そうじゃな」
なにも目先の六角にとらわれることではなかった。一色藤長も愁眉をひらき、目尻の皺をなごませた。
彼ら二人の頭髪も、もうまげを結える頃となっていた。
2023/03/27
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