~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
名を義秋 Prt-02
この頃、足利義親を旗印とする三好三人衆は、都から松永の勢力を追い払い京の政権を握ることに成功していた。しかし、都の公卿たちには阿波公方を嫌がり、源氏の本流義秋を支持している者たちが多く居た。義親を将軍とするためには、これら公卿たちをあるていど手なずけなければならない。都の空気をあまり刺激するのも得策ではないと見た三人衆は、義親を摂津富田の普門寺にまで進ませ、ここで上洛の機を伺うこととした。
六角承禎はもう何度となくこのことで、嫡子の義治よしはると意見の衝突を繰返していた。己の手の内にある義秋に承禎とすれば充分未練を持っていた。管領職を任じたこともある承禎としては、都の公卿たちと同様に血筋からいっても義秋が次の将軍候補としては第一人者であり、前将軍義輝とのこだわりをまだ残していた。
これに対して若い義治は、前将軍などというものには全くかかわりがなく、血の濃い薄いなどなどということを歯牙にもかけなかった。要は現実の力関係で判断すべきであり、すでに三好は京を押さえ義親の上洛もま近かという状況である。義親の方がより将軍に近い位置にあることは歴然としている限り、六角もこの義親をもり立てて行くべきだと主張して、ついに隠居の承禎を屈服させた。
ちょうどその頃、信長出陣を目前にした義秋は、将軍家ゆかりの能登七尾の畠山義綱や大和の十市といち遠勝らに、動座に必要な兵を送るように命じ、勇み立って居た。
しかし、斎藤龍興は甘くはなかった。信長が上洛の準備を始めるや、龍興は居城稲葉山に数千の兵を結集させ、留守を襲う気構えを見せた。怒った信長は木曽川を渡った美濃領内、河中島に兵を繰り出し、ただちに駆けつけて来た龍興と一進一退の攻防をくり返す。両軍は川を挟んで睨み合い、暴風雨の過ぎ去った翌々日、すなわち、閏八日未明激突。この戦いで信長は痛くも敗退した。
和約を反故にした龍興に怒り狂う信長ではあったが、食うか食われるかの世に一片の誓紙がなにほどの役にも立たぬことぐらいは信長自身が一番よく知っている筈である。今川を倒し勢いに乗る信長は、龍興ごときという気持もあり、上洛のおお見栄も切っている。再度美濃領へ攻め込んだが、ふたたび龍興の前に敗退を繰り返した。
さらには信長としては龍興ばかりを相手にしている状況下ではなかった。背後の伊勢や武田の動きも気になるところである。額に青筋を立てながらも、信長はとうとう全面的に兵を退かざるを得なかった。
義秋の上洛の動きを知った三好は、承禎を納得させた六角義治を抱き込み、強行策をとってきた。近江におよそ三千ばかりの兵を繰り出し、いっきに義秋の息の根を止めようとした。
六角の不穏な噂と、三好の動きをいち早く耳にした細川藤孝は、
「ただちにこの地を立去ることが、賢明かと心得まする」
うろたえる一色藤長とともに義秋のもとに駆け込んだ。
「まさか、あの承禎が裏切るとは」
義秋はまだ信じられぬとつぶやき、即座に腰を上げようとはしない。
細川藤孝はじれた。
「三好の兵は、すでに近江の坂本まで進軍しているげにござりまするぞ。近江は六角が領地であり、ここをなんら抵抗もなく通過させたことをみますれば、六角が三好に加担したことは明白」
「一刻の猶予もなりませぬ。三好は義親殿を将軍にたてんものと躍起になっております。義明様御命縮めんものと、なりふりかまわず兵を進めておりまする」
やや上ずった声で、一色藤長も横からせき立てるように進言し、あとから駆けつけて来た三淵藤英も「お早く」と義明の腰を上げさせるのに躍起となった。
2023/03/28
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