~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
越前一乗谷 Prt-01
永禄十一年。一乗谷の地で、義秋は数え年三十一の正月を迎えていた。冬の間は雪に閉ざされるこの国は、他国の侵入もないかわりに自らも撃って出て行く事が出来ず、無聊をなぐさめるためと都へのあこがれが、公家文化を育てる結果ともなっている。その点、同じ雪国でも武力一辺倒の上杉とは、考え方に大きな隔たりをもっていた。
朝倉の一乗谷は小京都といわれるだけに、領主義景自らが武将でありながら、武芸を磨くより歌舞音曲を好むという状況であった。
当初は朝倉義景の品格に感心したりもしていた義秋が、正月からの酒宴のつづく毎日に、さすがにうんざりとした表情を見せ出し、
「ちと遊興が過ぎるようじゃ」
と、首をひねりだしていた。
上洛の件については、細川藤孝がすでに家老あたりに働きかけているといういが、義景本人の口からは一言半句もまだ言葉が聞けない。
義親あらためて義栄の噂を聞くにつけ、義秋の心中も穏やかではなくなっていた。
「余は越前にまで、公家の真似事をしに来ているのではない。早々に義景には上洛の準備を始めるように言わねばならぬ」
輝虎には上洛の兵を挙げよと、この一乗谷よりも内書を発していたが、武田・北条との和議が成立せぬうちは、上杉も越前をあけられないとの返書が返って来たばかりであった。
代十四代将軍として、ついに義栄が任ぜられたとの報せは、二月も十日ばかりを過ぎた頃にもたらされた。
これを聞いた義秋は、ただでさえ狭い眉間に深い縦じわをよせ、
「むっ」
と、唇をへの字にして不機嫌となり、一色藤長が声をかける暇もなく座を立って居間に消えた。
その日は一日中、義秋はよとを呼びつけたあとは居間に閉じ籠ったきりであり、夕刻になってとよにみがぐったりと気だるそうな表情で姿を見せた。察するに義秋は、義栄に将軍職を奪われた悔しさを、とよの体で紛らわそうとしたのでもあろうか。
「身がもちませぬ」
とは、とよの言い分だが、久方ぶりの房事に熟れきった女体がまんざらでもまかったことは、うりみをおびた瞳の色に現れていた。ぞっとするほどの艶をたたえた黒い瞳にみつめられた一色藤長のほうが、逆に赤面してうろたえるしまつであった。
義秋の機嫌にハラハラするばかりの一色藤長たちとは違って、細川藤孝一人は、
「義栄などは、三好の勢力を追い払いさえすればいつでも退けられることで、我らが上洛を急ぐことにかわりはない」
と、鋭い語気を放って落ち込む空気に喝を入れていた。
武田と北条が上杉と和を結ぶことに同意したと言って来たのは、越前に遅い春が訪れようとする頃である。
この頃には、朝倉義景も上洛実現に向けて動き出すということを、一色藤長を通して伝えて来ていた。
「義景が動くのであれば、わざわざ遠くの越後の輝虎を呼び寄せるまでもなく、三好勢を都より追い払うは容易いことぞ、のう藤長」
2023/04/04
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