~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
朝倉から織田へ Prt-01
明智光秀と細川義孝の接近は、狭い一乗谷の中ではたちまち人の噂にのぼり、なにやらうさん臭い仲と見られるようにもなっていた。とくに、排他意識が強く、光秀を以前よりこころよく思っていなかった鞍谷刑部などが、二人の仲を義景に讒言し、光秀の立場は朝倉家中ではますます居づらいものとなっている。
そんな噂は、義昭の耳にも聞こえて来るのは当然といえ、
「明智光秀とは、いかなる者か」
よもやまの話のおりに、細川藤孝に尋ねた。
藤孝としても、いずれは朝倉に見切りをつけ織田を頼るべきだとは、義昭に告げなければならない時に来ている。この時とばかりに光秀のことを、今は朝倉に身を預ける侍大将に過ぎないが、もとは美濃源氏土岐明智が後胤であると、藤孝自身確かめたわけでもなかったが、光秀の素姓をはくのあるものとして紹介した。
「土岐明智と申せば、由緒ある家柄。忠義の心にも厚いとは、余も承知するところである」
「御意、されば」
と、ここで細川藤孝は光秀の人物像をさらに持ち上げることも忘れなかった。
「文武に秀で、さすがは名門の流れをくむ者だけのことはござりまする」
「うむ」
多少光秀に興味を持ったような、義昭のうなり声が返って来た。すかさず藤孝は早々に朝倉に見切りをつけ、ふたたび織田に注目するときであると、日頃光秀と分析していた天下の情勢について、その意のあるところを述べたてた。
朝倉には先日の祝賀で気をよくしている義昭であったが、こと上洛についてはその態度に訝しいものを、義昭とても感じている。
「眠ったままの獅子とは、その光秀のげん やおもしろし」
と、朝倉をそのように評した光秀の言葉に感心したりもするが、
「しかし、信長は一度余を裏切った者ぞ。誠意があると申すならば、義景の方がよほど信長より厚いと余には思えるがのう」
依然として信長に対しては、不安感を持つ。
「仰せではござりまするが、今の信長は昔日の信長ではございませぬぞ。ここは、この光秀という男を一度使うてみて、再度信長の真偽をただしてみるのも悪かろうとは思われませぬ」
上洛するには兵は多い方がよいに決まっている。朝倉も織田も上杉も、ともに義昭のもとに力を貸すというならば、それにこしたことではなかった。
一度光秀に目通りを許してもよいと言う義昭に、にんまりとした微笑を細川藤孝は浮かべていた。
光秀が水色桔梗の大紋に威儀を正した姿で御簾の中の義昭に平伏したのは、それから二日ほど後のことである。奏者役としては、一色藤長が当たっていた。藤孝より聞かされていた光秀の素姓を、美濃源氏よりながながと上奏し終えた一色藤長が、平伏したままの光秀の挨拶を待って、今度は義昭の言葉を光秀に伝えた。この拝謁が終わって、光秀は義昭より兵衛尉ひょうえのじょうという正七位相当の官位を授けられ、微官ではあったが将軍直参という肩書きをつけられることとなった。
「いや、めでたい。御所様もそなたをいたく気に入られたご様子であった」
座にさがって二人きりになると、星川藤孝が開口一番そう言って、今日の首尾が上々であったことを告げた。が、任官のことは、藤孝が光秀に多少の恩を売るためと箔をつけておく必要上、強く義昭に願い出てあらかじめ話が練られていたものであった。
信長の妻の縁につながるという光秀を、この後十二分に働かせるということは、義昭主従がぬるま湯のような朝倉家中に身を置きながら、かつ、確実に信長の意中を探れることに通じた。
信長に対して細川藤孝は、使者として一度は失敗に帰している。二度目ともなれば藤孝にも面子があり、義昭自信の沽券にもかかわってくる。この点、光秀ならばたとえ不成功に終わったとしても、事の真偽は義昭主従しか知らぬことであり、傷のつくもではなかった。一方、光秀にとってもこの任官は重要な意味を持っていた。将軍直参と言う肩書で信長に面会でき、織田家と公方を結び付け得れば、己にとって新たなる境地が開けようというものであった。
2023/04/06
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