~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
朝倉から織田へ Prt-03
十六日早朝。朝倉景恒らに警護された義昭主従は、朝倉家中に見送られて一乗谷をあとにした。
越前滞在中の感謝の意と、将来に置いても義景を見捨てるようなことはないという義昭の内書が、義景宛てに残されていた。しかし、朝倉義景自らは、ついに城中に籠ったきりで、この日も姿を見せることはなかった。
越前・近江国境近くで朝倉勢が引き揚げて行った後、義昭一行を織田・浅井勢が出迎えていた。信長名代として村井貞勝さだかつ不和ふわ光治みつはるらが一千余を率い、浅井は領主長政自らが五百を率いるというものものしさであった。
信長の挨拶を代弁した村井につづき、浅井長政の挨拶を受けた後、義昭は輿の中で一つ咳払いをした。
この日の義昭は、多くの兵に警護されて気分はすでに将軍になりきっていた。威厳ある声を出そうとして力みかえっている輿の中のそんな義昭が、一色藤長にはまるで見えるように想像された。
「お言葉を」
一色藤長は義昭の言葉を伝えるべく、うやうやしく輿に近づき控えた。が、なかなか声がない。しばらくしていつもよりは大きい義昭の声が響いて来た。
「出迎え、大儀である」
しかしその声は、妙にうわずったものであり、とても威厳ある声とは言えそうにもなかった。
義昭一行が長政の居城小谷おだに山で饗応を受けた後、大野から穴間の谷を経て仏ヶ原に出た所で、光秀が五百余を率いて待っていた。この光秀に細川藤孝は目顔で合図を送り、この日の成就を喜ぶべく微笑を浮かべていた。光秀はやや顔面を緊張させてこれに答え、己が軍勢を一行の殿しんがりに配置させ終えると、黙って藤孝に馬首を並べて来た。伊吹山を左に見て中山道を柏原かしわばらから長久・関ケ原・垂井そして予定通りの義昭らが美濃立政寺りっしょうじに入ったのは、七月二十五日のことであった。
立政寺は岐阜城下、天皇の勅願寺として当時美濃最大級の寺院である。信長が諸将を連れて義昭に拝謁したのは、翌々日のことであった。信長は格式張った礼を好まない。
「織田上総介かずさのすけ信長でござる」
奏者役の一色藤長を無視し、信長はいきなり名乗りを上げるとともに、この日の献上品である鳥目一千貫と太刀を即座に運び込ませた。
これには一瞬驚く義昭であったが、威厳を取り戻す余裕だけは持っていた。
山と積まれた銭の量に目をみはり、
「うむ、」
と、大きく顎を引いて、鷹揚に頷き、一色藤長を通して献上品への礼を述べさせるとともに、一日も早い上洛実現に力を貸すことを命じていた。
義昭が信長を見たのはこの時が初めてである。想像していたが荒武者とはまったく異なり、気品すら漂わせる整った顔容に、意外さと安心感を同時に抱いた。だだ、高い鼻梁と猛禽類を思わせる鋭い眼光は、これまで義昭の記憶にあるどの男にもないものであった。八月初めには出陣するつもりであるときっぱり言い切る信長に、義昭は朝倉義景などには見られなかった力強さを感じていた。
随身の柴田勝家、丹羽長秀、木下藤吉郎などといった信長諸将にも、
「これまでの大名などにはない、破天荒の力を感じまする」
と、評する細川藤孝とは逆に、
「儀礼を知らなさすぎるのが、玉に瑕」
渋い表情の一色藤長、三淵藤英。
そのどちらにも義昭は、
「そうじゃの」
と、この夜は上機嫌で相槌をうっていた。
2023/04/08
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