~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
上 洛 Prt-02
摂津に逃走した三好三人衆は、抗戦の意志を捨てたのではなかった。山城勝龍寺やましろしょうりゅうじ城、摂津せっつ芥川あくたがわ城、越水滝山城、河内高屋城にそれぞれ兵を集め、反撃の機会を狙っていた。
が、都を占領し終えた信長は、間髪を入れずこの三好討滅に全力を集中した。今度は義昭を陣頭に立てたの出陣であった。義昭に将軍としての威容を整えさせ、堂々と都から兵を進行させた。
「三好が首をあげと」
義昭も馬上で得意となり、采配を振っては扈従こじゅうする武者たちを鼓舞した。清水寺から勝龍寺城へ進撃し、これが落ちると摂津に進軍した。将軍親征と織田の大軍に、日和見の高槻・茨木などの諸城は一日でかたがついた。
阿波の本拠に逃げ帰っていた十四代将軍義栄の死が、陣中で一息入れていた義昭にもたらされたのは、この後いくばくの日もない頃であった。
「なに! 義栄が」
報告する一色藤長の口もとを見詰めて、義昭は一声そうつぶやき呆然とした。腫物を患ったろいうことだが、あまりの急死であり、真偽のほども疑えばあるいはと否定できないことでもあった。
いずれにしても義栄は不幸な男であった。
三好に担ぎ出されたことで、死を早めたと言える。
「阿波はどの方角かの」
やがて義昭は数珠を取り出し一色藤長に尋ねるや、その方向に向かって合掌してみせた。
祝い言上と思っていた藤長は、突然の義昭の態度にとまどいをうけ、慌てて自身も義昭につづいて合掌した。
「思えば義栄も哀れなものじゃな。三好に担がれたとはいえ、室町の御所にはついに入ることさえ出来ず運命尽き果てようとはのう」
そうつぶやく義昭であったが、表情には徐々に笑みが広がり出しているのを、一色藤長は見逃していた。
「哀れなことにござりまする」
と、当初この報告で、将軍位がなんなく義昭に転がり込んで来た祝辞を述べようと破顔して来た一色藤長であったが、逆に人の死を悼む悲痛な表情をまだ消せずにいた。
三好三人衆の首までをあげることは出来なかったとはいえ、その勢力をほとんど壊滅状態にし、都に義昭が凱旋して来たのは十月十四日であった。その四日後、義昭はついに第十五代征夷大将軍・参議・左近衛権中将の位を得て、十四位下に叙せられた。ここに室町幕府は再興されたのである。本圀寺を仮の御所として義昭は日々儀式に多忙を極め、一色藤長らも諸事に忙殺された。
義昭は有頂天となっていた。と同時に将軍としての威厳をはや示さんとするがために、尊大に構える態度を必要以上に過大に見せていた。毛利が出雲いづも伯耆ほうき二国のうち千貫文の土地を申上すると言って来たのに対し、それでは不足だと追加を要求した。島津がわざわざ遠路使者を上洛させ、黄金五百両などをもって祝意をあらわして来た時も、顔さえ見せてやらず、御簾の中で不機嫌そうに使者を引見しただけである。
が、信長にはその態度は通じなかった。人質を差し出して降伏した松永久秀と三好義継を信長があっさり許してしまったことは、義昭にとってはもっとも腹立たしいことであった。
二人は兄義輝を殺した巨魁である。
「なぜ殺さぬ!」
と、細川藤孝に抗議させたが、逆に信長の強い意志を見せつけられる結果で終わった。
「本家の義継を殺せば三好の反撃を強めるだけであり、松永は大和を平定するには便利な男じゃ。それほどのことがわからぬ細川殿でもあるまい。帰られて将軍家にはとくと申し上げられい」
細川藤孝をして心胆を寒からしめるほどの、甲高い信長の一喝であった。
目をむいて怒りだす義昭を、
「ここは、そうことをあせるものではござりませぬ。いま幕府再興に力をそそがねばならぬ時、信長に横を向かれてはそれこそ大きな痛手となりましょうほどに」
ひたすら藤孝がなだめることによって、渋い表情を見せはしたが、信長の力なくしてこの栄冠を勝ち得たものではないだけに、やっと義昭もこのことはもう口にしなくなった。
2023/04/08
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