~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
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再興された室町幕府の政治は、京都中の皇室領課役などについて、まず未納をなくせという命令を発することから始められた。しかし、その機構はそっくり旧幕府時代を復活したものであって、かけ声だけで乱れた世がすすんでいる最中に命令がそのまま目的通りに実行されるわけもなかった。さらには、旧幕当時の戻って来た直参たちと、義昭を救出した功として芥川城主の恩恵を受けた和田惟政の仲がしっくりゆかず、義昭自らがわざわざ和協の命を出さねばならぬほどとなっていた本圀寺を仮御所としたこの幕府は、再興当初からはやくも内部よりごたつくすべり出しであった。
本圀寺は六条に位置し、義昭の動座にあたって信長は、寺の周囲の堀を広げ、塀を高くして応急の平城化となしていた。さらに寺周辺に三千の兵を常駐させルとともに、明智光秀をして寺にたえず詰めさせる警戒態勢をとっていた。
信長の武力の前に潰れさったかに見えた三好が、薬師寺やくしじ九郎左衛門くろうざえもんを総大将にしておよそその数五千で、美濃を追われた斎藤龍興とともに、突如、この本圀寺を襲って来たのは永禄十二年正月五日未明のことである。
「いかがいたしたのじゃ」
幾日かぶりにとよの豊富な肉体を抱いてぐっすり寝込んでいた義昭も、さすがに戸外の慌ただしさに度肝を抜かれて、寝衣の乱れもそのままに飛び起きていた。
と同時に一色藤長が具足のひもを結ぶ手ももどかしく三好勢来襲を伝えに来た。
「三好が残党およそ五千。大宮・堀川大路より攻め寄せておりまする」
つづいて明智光秀、三淵藤英もそれぞれ甲冑に身を固めて義昭の前に駆けつけて来た。どの顔も緊張した面差しである。
「いかがいたせばよいのじゃ。よい手立てはあるのか」
唇をふるわせて、義昭が立てつづけてわめいた。
細川藤孝は折悪しくこの時祖父伝来の地を回復した勝竜寺城に帰っていて不在である。
五千という大軍と聞けば、誰しもが震えあがるのも道理であった。それも途中、信長に叛意をを抱く者たちが加わり一万余にもなっているという。
「ここはいったん本圀寺より御動座いたされるが賢明」
藤英が一刻の猶予もならんと、義昭をせかせた。逃げるのは、足利将軍家の伝統といってもいい。父も祖父も幾度近江に落ちのびて身を守ったことだろうと、一瞬義昭の脳裏を掠めるものがあった。
「おお、そうじゃの」
義昭は、せわしく三淵藤英の言葉に顎を頷かせた。
が、明智光秀が強くその意見に反対した。
「落ちると申されても、すでに三好は辻々を固めていることでござろう。かえってこの寺より出ることの方が意見というものでござる」
「したが、三好はまもなくこの本圀寺を包囲する勢いというではないか。なにはともあれ御所様御身大切が肝要じゃ」
一色藤長も三淵藤英の意見に同調しようとした。
こんな時に藤孝がいれば、逃げ出すばかりの意見が飛び出すわけでもないと、光秀の顔面に苦々しさが一瞬走った。
「まずは」
光秀は、義昭側近たちの顔を睨みつけるようにして言葉を投げた。
「まずは我が手勢をもって防ぎまする。一戦も交えずして天下の将軍が逃げ出すことこそ不名誉。落ちることを考えるのは、その後のことにいたされよ」
いつに見られぬ光秀の有無を言わさぬ激しい言い方であった。将軍の不名誉という言葉に、義昭自身が敏感に反応を示しだした恐怖心もさることながら、ここは一番踏み止まる勇気を将軍として示さなばならぬと思い直した。それに、脱出するのは一乗院でこりていた。
「ならば、明智が手勢でただちに寺の門を固めよ
即座に義昭はそう命じた。
義昭自身逃げるがよいか、篭城がよいかの判断がつきかねた。しかし、一色や三淵よりは、この時光秀の言葉と態度に頼もしさを感じての決断であった。
「たのむぞ、明智」
「かならずや御所様の御身、この光秀命にかえましてもお守り申しあげまする。さらには、近くには織田勢もおりますれば、そうそう恐れることではござりませぬ」
そういった安堵の言葉を言い置き、手配りのために慌ただしく立ち去る光秀の背を、義昭主従はなお不安気な面持ちで眺めていた。
2023/04/09
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