~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
さ こ の 方 Prt-03
信長自らが戦勝報告のために伊勢から京に入ったのは、十月十一日のことであった。
すでに伊勢平定のことについては、急死をもって御所や朝廷に伝えられている。
その日、信長は上洛するや、ただちに義昭の前に姿を見せた。
「あっぱれなる働き、この義昭うれしく思う」
御簾をかかげ、義昭は手放しで信長を褒めそやした。
その言葉に一度は平伏して見せた信長ではあったが、キッと顔をあげた信長の目は、鷹のように鋭く義昭を睨みつけていた。
「将軍家にお尋ねいたす」
およそ感情のかけらもその顔に浮かばせず冷たく切り口上で信長の口から発せられた声音は、今まで破顔していた義昭の顔面を一瞬にして凍りつかせるものであった。一色藤長があわてて信長の言葉を伝えるべく、やや膝をすすめて、
「お言葉ならばそれがしが」
直答をさえぎることと、信長の態度に一泊おくつもりもあった声をかけた。
が、苛立つような信長の声が、藤長の出端でばなを一瞬にてくじいていた。
「わしは、将軍家にお尋ねしている」
義昭から視線を外さず、ぴたりと一色藤長の口を封じ、
「天下平定はこの信長の力があってこそ可能でござる」
そう切り出した信長の言葉のあとは、義昭自らが各地に発した御内書の真意を問うものであった。
返事に窮し、目を白黒とさせる義昭。あっけにとられる一色藤長、三淵藤英。
「こののちもこのの信長の力を頼られるなら、ただただ、信長一人に頼られよ」
言うだけ言うと、さっさと信長は義昭の前から立ち上がった。
「御所様」
信長が消えた後、気を取り直したように藤英が義昭に声をかけた。
その義昭の顔は蒼白となり、膝に置いている手がぶるぶると震えている。
「余は将軍じゃ、内書を自ら出すことがなぜいかぬ」
信長の座していた所に向かって、義昭は一声叫ぶかのような声を発していた。
その夜、御所に細川藤孝を呼びつけた義昭は、激しい怒りを見せた。後になればなるほど、信長の言動は将軍の権威を踏みにじるものと痛感されてくる。近頃どちらかと言えば信長よりの考えを示しだす義弟藤孝に、三淵藤英も、
「信長は許せぬ」
といきまいた。
義昭も細川義孝に怒りをぶつけるようにして、
「信長の言動を糺せ」
としっつこいほどに繰り返し叫んでいた。
翌早朝、信長の使いとして御所に明智光秀が現れた。うやうやしく平伏し、言葉やわらかく光秀が伝えた内容は、しかし、信長の恫喝を細かく再度説明するようなものであった。
「信長は、この余から幕府を奪うつもりなのか」
義昭は光秀に向かって、激しい怒声をあびせた。
「毛頭そういうつもりではございませぬ」
ひたすら光秀は平伏し、ただ行動の慎まれることを信長は望んでいるだけだと、何度も同じ言葉を繰り返し、義昭の怒りの静まるのを待ちつづけた。
京に留まること七日で、にわかに信長は全兵力をともなって岐阜に帰ることを発表した。
当然、都はまったくの無防備状態となる。
このことは、たちまち都の人心を不安に突き落とす結果となった。信長が居なくなれば、いつまた三好や他の勢力が現れ、京が戦場の坩堝と化すか知れたものではなかったからである。
信長一辺倒となっていた朝廷は、ひたすら信長が京に留まることを望んでいた。信長の急な帰国の原因が将軍義昭への面当てのつもりなのかどうかは、朝廷としても信長自身に聞く以外知る由もない。しかし、義昭との間に何かがあったことぐらいの推察は出来た。
── 信長にわかに帰国のよし、驚きおほしめし候。いかようの事にてか、心もとなきよし ──
山科言継が正親町おおぎまち天皇女房奉書にょうぼうほうしょをもって、わざわざ慰問のために岐阜にまで下向げこうしていった。
「信長ごときに操られるために、余は将軍になったわけではない」
義昭は義昭で怒り狂っていた。
しかし、動かす兵もなく財力もない彼にとって、怒りを爆発させようにも手段はなかった。
内にこもった怒りはくすぶる。酒で紛らそうにもそう強くない義昭は、荒れる心をさこの方の肉体に向けた。とよとならば、あるいはそんな義昭に徹底的に付き合ったかも知れない。しかし、さこの方はその夜、酒気を帯び発作のように凶暴となって迫って来る義昭の態度に怖気を覚えた。さこの方が信長より献上された女だとおい思いが、歪んだ憎悪につながっていた。抗う女体にますます義昭の瞳がギラつく。くそ力はあった。逃れようとするさこの肩を押さえつけ、裸にするや、帯紐でぐるぐるに縛り上げ、乳や腹や尻を叩きまくった。
悲鳴をあげ泣き叫ぶさこの方。
「信長め、信長め」
義昭は憎々し気に何度もそうつぶやいては、泣き叫び、身をうねらせる白い裸体を責めつづけた。
2023/04/15
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