~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
そで はん Prt-02
あらかじめ、一色藤長に事情を打ち明け、何とか義昭の怒りだしたあとをうまくとりなしてくれるようにと頼んでいたが、条書を手にした義昭の怒りようは、そんなものではすまされなかった。義昭は条書を叩きつけるや、顔面を真っ赤にして立ち上がり、光秀と日乗を憎々し気に睨みつけてわめいていた。
これが将軍たる余に差し出す書状か。信長は狂うておるとしか思えぬわ。それとも余に取って変わろうとでもいうつもりか。光秀! その方、信長の客将とはいえ、将軍直参でもあるぞよ。それを、ようもこのような無礼きわまるものをはしたなくも持参してきたものじゃ」
「恐れながら」
日乗が、義昭の怒りが静まるのを待つために身を縮ませて平伏するばかりの光秀を尻目に、傲然と坊主頭をもたげて奏上した。
「今、織田信長公を怒らせば、はっきり申し上げて足利将軍家を存続させ得ることは不可能に近きかと。この御所から将軍家直参の者たちに至るまで、信長公の懐で成り立たぬ者はございますまい。さらには幕府に武力は皆無でござろう。さすれば、これも信長公に頼らざるを得ぬところでござる。そこのところは京雀でもわきまえておるものではござりますまいかの」
「日乗! その方、余に何が言いたい。この条書に余に喜んで袖判を押せとでもいうのか。無礼な言上許さぬぞ」
いまにも日乗に掴みかからんばかりの義昭を、一色藤長がやっと押しとどめた。
「お静まりを! なにとぞお静まりを! 明智も日乗殿も何も好き好んでこのような役目を引き受けられているわけではござりませぬ。何事も天下のため。ひいては足利幕府の行く末をおもんばかってのことだろうと思われまする」
「藤長。その方も細川藤孝と同様、信長に毒されたるか」
「めっそうもどざりませぬ」
「将軍家に奏し奉りまする」
この時やっと光秀が参上した。
「日乗上人も先程奏し奉りましたるように、信長公の武力をもって今や天下は安泰に向っておりまする。一刻も早く乱れた世を納めるは、上に立つ者の勤めと申さば言葉が過ぎ恐れ多きことながら、いま将軍家と信長公が不和となられましては再び世は乱れましょう:¥」
「だまれ! 天下のためとは言うが光秀、それでは余に名だけの将軍でよいと申すか」
「御意」
すかさず日乗が、義昭の言葉尻を引取って言った。
「足利将軍家存続のためを考えれば、まずもって名を取り、実を捨て去ることしかござるまいの」
歯に衣を着せぬこの日乗の言葉に、義昭はさらに激昂げっこうした。
「いかに力があろうと、余がおらねば上洛する名分はなかった筈じゃ」
日乗はその義昭の興奮する様を冷然と見つめ、つぎには結論づけるように言ってのけた。
「さよう。信長公の力と将軍家の名で、この後も天下を安泰にさせたいものでござるわの」
「なたぬ! ならぬぞ! 袖判は押さぬ」
義昭は怒りに身をふるわせてそう叫ぶと、足音荒く立ち去り、一色藤長がおろおろとその後を追って行った。
2023/04/16
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