~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
朝 倉 攻 め Prt-02
刻々と入る浅井、六角の情報に、やっと信長も浅井の動向を納得した。そうなれば朝倉、浅井で挟撃されるは必定で、織田側はいまやまったく窮地に立っていた。
「憎きは長政」
頭から信じていただけに、感情の起伏が激しい信長の怒りはすざまじかった。
「早々逃げ出すことよりほか、手はありませぬぞ」
額に青筋を立てて怒り狂う信長を皮肉るように、松永久秀が言ってのけた。
信長は眼の前の久秀を一瞬睨みつけたが、
「今ならば、まだ間に合いまする」
久秀の自信たっぷりの言葉に耳を傾けざるを得なかった。
久秀は、万に一つもこういうこともあろうかと、退路をすでに模索していたという。いかなる時も、破滅だけはするまいというのが、この男の生き方である。かなわぬと覚れば兜を脱ぐ。「久秀は食えない」とは、彼の人物評価だが、敵にまわせばうるさいことも実績が示していた。毒も使いようでは薬であり、そういった意味では、信長は利用できる男として久秀を高く買っていた。
「大悪人も死を恐れるのか」
嫌味たっぷりの信長の言葉だが、久秀はべつに不愉快な顔も見せず、平然と頷きかえした。
「さよう。命あってのものだね。犬死にだけは避けとうござるわい」
久秀の」落着き払った言動に、やっと信長も頬に皮肉な笑いを浮かべるまでになっていた。もう気持は切り替わっていた。そうなれば信長の決断は早い。
「退却じゃ」
叫ぶや、馬上となっていた。殿しんがりを買って出た木下藤吉郎の奮戦で朝倉の追撃をかわし、久秀の示した朽木谷くつきだにをへて、辛うじて信長勢が京にまで辿り着いたのは四月の晦日であった。
「信長のキリキリ舞いする姿が、目に見えるようじゃ」
と、義昭は、己の内書があるていど功を奏したことを確信して一人悦に入っていた。しかし、腹の内とは逆に、帰って来た信長には翌日、一色藤長を見舞いに行かせ、なぐさめの言葉をぬけぬけと与えてもいた。
が、この義昭の秘かなる喜びも、つかの間であった。
大打撃を受けたと思った信長が、早くも六角の起こした一揆を潰すために、柴田勝家や佐久間信盛のぶもりを近江に出発させるとともに、自らも五月の九日には二万の軍勢を率いて堂々と京を発ち、岐阜に引揚げて行った。意気消沈するどころか、信長は以前にもまして尊大になり、朝倉、浅井を攻め滅ぼすことにさらなる闘志を掻き立てているようでもあった。
「こりぬ男よのう」
義昭はあきれる思いで去り行く織田軍勢をみつめ、己の糠喜びで逆に元気をなくしていた。
その信長が帰路、千草ちぐさ峠で狙撃されたことが報じられると、思わず義昭は顔面に喜色を見せたが、奇蹟的に命を拾い無事岐阜に帰ったとの結果を聞くや、大きな溜め息ひとつを吐いて肩を落とす一喜一憂を、藤長に見せた。
「悪運強きとは、あの男のことじゃの」
義昭は、藤長相手に、愚痴るようにつぶやいていた。
2023/04/18
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