~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
姉 川 Prt-02
小谷城より南二里ほどの横山城は、姉川の河畔、臥竜山がりゅうざんの山頂にあった。美濃方面の攻撃にそなえて築かれたものであって、城は近江から越前に通じる要路をも扼していた。
一進一退のはかどらない小谷城攻撃と、来る来るといいながら姿を見せぬ義昭に苛立いらだっていた信長が、この横山城に目をつけた。この城を奪えば、浅井・朝倉の連絡道を断ち切れるとともに、浅井の両国を北と南に分断できた。また、奪えぬまでも、浅井を攻めにくい小谷城から誘い出すことは出来るだろうと見た信長は、即刻この城を弟信包のぶかね丹羽にわ長秀ながひでら五千によって猛攻させた。
当然、浅井側もこの城を重視し、名うての城将と精兵一千で守りを固めていた。攻防は熾烈をきわめたものとなった。が、この横山城の危急にも、小谷城の浅井本軍は動く気配を見せず、信長の戦略には乗らなかった。
浅井長政自らが、八千を率いて出撃するのは、待ちに待った朝倉勢の到着を見てからである。
信長追撃でいったんは江北に軍を進めながら、なすところなく一乗谷に兵を返した朝倉が、ふたたび重い腰を上げて朝倉影健かげたけが率いる一万の軍勢で、浅井救援にやっと出動して来ていた。しかしその数は長政の期待したものを大きく下回り、前回出動のおよそ半分であった。
長政とすれば、何を考えているのかと言いたいところであったろう。が、ともかく横山城救援のためにも浅井。朝倉連合軍は大寄山おおよりやまに陣を張った。一方、徳川家康の来援を得た織田側は、大寄山の南、りゅうはなにその数二万九千を集結させた。
姉川は伊吹山麓の西南を流れ、琵琶湖に注ぐ。当時およそ幅百メートルイ、水深一メートルほどの川であった。
二十八日未明。両軍はこの川を挟んで対峙していた。
真夏のうだるような太陽が、靄の立ち込める川面を照らしだした時、すでに檄闘は始まっていた。
信長が細川藤孝に報じた戦勝報告の日付は、二十八日となっている。この姉川の合戦は、じつに十時間近くの長きにわたって戦いつづけられていたのちに、織田側勝利となっていた。おそらく信長としては、来る来ると言いながらついに姿を見せなかった義昭の鼻を一刻も早くあかしてやるためにも、その日のうちにしたためたものであったろうか。文面に余裕と得意さが十分に表れていた。
討取った敵の首は数え切れぬほどであり、死骸で野や畠は満ちみちた。小谷城の陥落は時間の問題であって、越前も近江も、信長の武略の前では何ほどのこともなかった。横山城も一両日には落とせるだろうし、佐和山さわやま城の守りを固めた後は、上洛する所存である。この旨、くれぐれも将軍家にお伝え願いたいと結んでいた。
「まずは、めでたい」
細川藤孝と信長の使者を前にした義昭は、そう言わざるを得なかった。しかし、言葉とは裏腹に、表情にまったく冴えがなかった。確約した己の出陣については、一言二言藤孝に言い訳のようなことを言った後、義昭はブイッと座を立った。
義昭は戦慄を感じていた。予想外に信長は強かったことになる。と、同時に、己の魂胆を見透かされているような気持がした。その夜、義昭は大蔵卿の白い裸身におおいかぶさりながらも、脳裏から信長の存在を消せないでいた。怒りと共に急速に競り上がって来る恐怖で、眼の前が真っ暗となるようであった。
大蔵卿が義昭の体の下で、複雑な表情をみせていた。
気が付けば義昭のものは、完全に委縮してしまっていたのである。
「信長殿の敵はあまたにござりましょうほどに、これこのようにすぐに力を落とされてどうなりましょうぞ」
そういった慰めの言葉とともに大蔵卿の右手は、義昭の小さくなったものをきつく握りしめていた。
「むっ!」
と、義昭は思わず痛さに顔をしかめたが、
「力か・・・」
そうつぶやくといったんは大蔵卿の体から離れ、信長に対抗する勢力を、すぐさま脳裏で模索しだしていた。
「そうでござります。将軍家の力を信じなされませ」
どこかで聞いたような言葉である。
大蔵卿に煽られたようなものであったが、
「信長めを倒さずにはおかぬ」
恐怖を払いのけるためにも、義昭はそう叫ばずにはいられなかった。
義昭のものも、大蔵卿の手の中で徐々に回復の兆しをみせはじめていた。
2023/04/21
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