~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
姉 川 Prt-03
義昭の檄が飛んだ。手当たり次第である。
信長への恐怖と憎悪が合体して、この時この男の中に定着した。
三好は本来、義昭の宿敵である。信長追討の御内書が秘かにこの三好にも発せられた。上杉・武田は言うに及ばず、本願寺など、およそ信長の敵となる可能性のある勢力に見境もなく義昭の文字が飛んでいた。
「信長への一大包囲網を余の力でつくってみせようぞ」
義昭は一色藤長と三淵藤英を前にして、打倒信長を宣言した。二人はともに直接使者に発つなどして、多忙をきわめる日々となっていく。
御内書を手にした三好三人衆の一党が、再び京を掌中にせんものと、根拠地阿波から出動、上陸し、摂津から河内方面へと軍事行動を開始しだした。この頃には本願寺顕如も、強圧な信長についに我慢の堰を切り、諸国門徒に檄を送っていた。
信長は松永久秀、三好義継らをして、三好の進軍に備えさせる一方、畠山昭高に紀伊・和泉の軍勢で三好軍を攻めさせた。自らが三万の軍勢で岐阜を出馬するのは、は八月二十日である。二十三日には上洛し義昭と短い言葉を交した。
「必ずや三好一党を殲滅してまいる所存」
「勇ましきことじゃ。武運を祈っておるほどにの」
両者、腹に一物を持った気まずい雰囲気の中での会話であった。
三好は野田・福島にまで迫り、河内枚方に陣を置いた信長勢と激戦した。ここで信長は再び義昭親政を、細川義孝を通じて要請してきた。今度は出ぬわけにはいかぬ義昭は、三十日、軍を率いて京を出発。藤孝の山城勝龍寺城に入り、さらに将軍親政の先導を務めている藤孝が陣をしく、摂津中島城にまで進んだ。
この将軍親政は、織田側の士気を大いに高めるが、
「やくたいもない」
義昭は歓呼で迎えられる織田勢の中にあって、一色藤長につまらなそうにつぶやき、渋い表情を見せていた。
本願寺が信長との全面戦争に突入したのは、九月十二日の夜からであった。本願寺側は鉄砲集団で名高い雑賀さいか衆を味方に持っている。三千挺もの鉄砲が、天満に軍を進めて来た織田側に屍の山を築かせていた。
一時は敗戦で打撃を受けた浅井、朝倉であったが、この信長の苦境に三好からの連絡もあって動き出した。
三万の連合軍で江南の宇佐山うさやま城を猛攻、織田側の将、織田信治のぶはると森可成よしなりを討ち死にさせた。
信長は慌てて軍勢を反転させ、今度は浅井、朝倉に備えなくてはならなくなった。
親征から帰った義昭は、笑いが止まらない。身は織田側に置くとはいえ、浅井・朝倉・三好・本願寺はすばて義昭の檄の依っていっせいに呼応した形となっていた。
「このたびは信長殿とてかなわぬでありましょうほどに」
勝ち気な瞳でそういう大蔵卿に対して、
「いえいえ、信長殿はなかなかあなどれませぬわえ」
小宰相の信長に対する見方は違っていた。
何事にも慎重な小宰相。
義昭はこの二人の女の意見を、今は余裕をもって楽しんでいた。
「まずは、見物じゃ」」
美女二人の酌をうけ、義昭は上機嫌であった。
一方、予想以上にすばやい信長の反転に、浅井・朝倉連合軍は浮き足立っていた。一度は姉川で大敗し、とくに浅井は主力を失っているだけに京まで攻め入ろうとする朝倉影鏡かげあきらの考えに、浅井長政が同意を示さなかった。全面衝突ともなれば、こっちが潰滅する可能性の方が大きかった。そんな無謀な戦い方をするよりも、反信長勢力を結集した力で、信長を叩く時期を長政は待とうとした。
連合軍はひとまず比叡山に登り、織田軍団に備えた。
2023/04/22
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