~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
義昭挙兵 Prt-02
義昭とのそんな駆け引きとは別に、信長は浅井攻撃に本腰を入れはじめだしてもいた。
まずは、小谷城下の村々を焼き払う焼土作戦を繰り返したが、浅井は今度も城から出て来る気配はない。信長は佐久間信盛、柴田勝家、丹羽長秀、木下藤吉郎、明智光秀などをつぎつぎと動員し、浅井の勢力下を徹底的に焼き尽くした。それでも浅井は城から出ず。信長の挑発には乗って来なかった。が、信長はあきらめない。気の短いこの男としては異例の長陣の構えを見せ、小谷山の眼前、虎御前山に砦を築きだしていた。
「必ずや、長政、久政父子の首をとってやる」
裏切った者に対して抱く憎悪の感情に、この男は人一倍強く、かつ、執念深くいつまでも忘れないというへきがあった。
虎御前山を本陣として、いよいよ信長が五万余の軍勢で、小谷城の完全包囲に乗り出したのは、初秋の風が湖北こほくに吹きはじめる頃であった。
包囲され、補給路を断たれては、いかに不落を誇る小谷城とはいえたまったものではなかった。
義昭の内書と浅井の救援要請を受けて、ふたたび朝倉義景が、二万を率いて越前を南下して来た。
浅井・朝倉連合軍三万、織田五万が、江北の地で睨み合った。
この頃、武田勢が動きはじめていた。義昭が送った内書が、武田信玄の上洛に向けての旗印となっていた。
信玄は本願寺と通じている。松永久秀ともすでに手を結んでいた。宿敵上杉には義昭から和をすすめる内書が送られ、あわせて北条および一向衆徒らが上杉を横から牽制している。上洛にあたっての背景は、充分に整っていた。
“武田動く”の情報が、畿内の反信長勢力を一斉に立ちあがらせていた。
「逆賊信長を討て!」
義昭の内書が、それらの勢力のよりどころとなっていた。
信長を湖北で釘付けにし、包囲殲滅せしめようとの義昭の腹であった。信玄が動くことによって、すべては義昭の思惑通りの展開になっていた。内書を発するにもはや信長を恐れる気はなかった。はっきり信長を敵としてはばからない。
三位の局が男児を出産した。良い事づくめの八月であった。が、九月になって笑み満面の義昭に、突如暗い影が忍び寄って来た。産後の経過が思わしくなく、寝ついたままの三位の局が、子を自ら抱くこともなく消えるように逝ってしまった。
一夜、亡骸を前にして、義昭は久方ぶりに数珠を手にかけ合掌した。
「おいたわしきかぎりにございまする」
一色藤長の悔やみに、
「人の運命ほど、わからぬものはない」
そうつぶやく義昭であったが、それは己自身の前途を暗示せぬものでもなかった。
義昭の不幸に追い打ちをかけるかのよに、信長が異見十七か条なるものを送り付けて来た。それはこれまでの義昭の将軍としての失政を、強く諫めるという内容に満ちていた。
「不遜なり、信長」
義昭は、一色藤長が読み上げた書状をひったくるや、叩きつけた。
本来なら信長は孤立し、あえいでいなかればならないはずであった。同盟者徳川家康も今回は信長どころではなく、信玄の動きで我が身が危機にさらされ、逆に信長の援護を請う状態にある。普通なら、とてものことに義昭に目を向けている心のゆとりなど、生まれて来ないのが当然と言えた。まだまだ信長には余裕があるのか。
叩きつけた書状から、まるで信長の底知れぬ不気味さが立ち登って来るかのようであり、義昭は恐怖の瞳で書状を凝視しつづけた。
2023/04/28
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