~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
義昭挙兵 Prt-04
信長は岐阜に居て、武田に備えている。この間、都の急迫した状勢が、細川藤孝によって逐一信長のもとに伝えられていた。藤孝としては義昭と信長の仲に、まだ一抹の望みがないわけではないと思っていた。なろうことならば、もう一度義昭と信長が和することで事なきを得るのが一番であり、それが室町幕府を維持するに最良の方法であると考えていた。身体きわまっている信長は、この義孝の考えに飛びついた。義昭との仲をふたたび元のように円満に納め得るものならば、武田に全勢力を集中できようというものであった。
信長は、せめて義昭側近の中立派の幾人なりとも藤孝が説得し、これによって義昭自身もあるいは軟化するやも知れぬという期待を持った。
信長は苦しい状況の打開をみくろみ、藤孝はなんとしても室町幕府の滅亡だけは避けようとしていた。
利害の一致した二人は急速に接近し、この件に関して密接に連絡を取り合った。
藤孝はまず、気心の知れた一色藤長に働きかけた。
が、藤長の返答によれば、とてものことに今の義昭を軟化させることは不可能であるという。
藤孝はこの御所の空気を信長に伝えると共に、新たなる策を考えていた。
ここは思い切って、信長に頭を下げさせようとするものであった。
「義昭公に、宥免ゆうめんを願うのでござりまする」
直接信長のもとに出向いて藤孝は、己の考えを述べた。気難し気な信長の顔を、藤孝は目の前にした。信長の反発が予想された。
が、その表情のままで信長が黙考したのは僅かの刻である。
「よかろう」
藤孝の気負いをはぐらかすような、信長の言葉が返って来た。
武田と義昭の両面作戦に苦しむことを思えば、宥免おまたやむなしと、藤孝の説くところを信長は即座に理解し得ていたのである。聞く耳を持つこの信長に、藤孝ははじめて緊張を解いた笑いを見せた。
信長の意を受けて、松井有閑らが御所に向かった。
「あの信長がの、余に降参いたすというか」
義昭は、和議を求める使者を受けて痛快がった。
万事に温厚な一色藤長などは、ここらあたりで手を打ってはと義昭にすすめてみるが、三淵藤英ら強硬派はなかなか承知しない。
「ここまで来れば信長の息の根を止めるまで、あと一押しでござりまするぞ」
と、武田も進軍を強調した。
御所の空気はこれらの意見が大勢を占め、もはや信長をどう料理するかというところまでになってきた。
「考えておく」
として、いったん使者を返した義昭は、そののち、和議をするならば信長側から人質を差し出すべきことなど、勝ち奢った諸条件をつきつけた。
「義昭め」
人の足元を見透かしたような条件の提示に、信長は、はじめ怒りを見せはしたが、
「急場を助かるためならば、飲むしか策はござるまい」
細川藤孝の、このやや押しつけがましい言葉にも逆らう余裕はなく、やがて、わずかに顎をうなずかせた。
「すべて承知」
の回答を持って、朝山日乗、村井貞勝さだかつらがふたたび御所に向い、人質と誓紙の差し出すことを約束した。
義昭は満足なる表情を浮かべはしたが、そのままなならの返答を与えず、そっぽを向き、使者を追い返らせた。これほどまでに信長が弱り果てているならば、もうひとつ懲らしめてやろうという義昭の腹であった。
「和睦は許さぬと、信長に伝えよ」
信長への和睦拒絶をうけた信長は、今度は明智光秀を使者にたててきた。
すでにこの時までに将軍直参を返上していた光秀の態度は、なお恭謙きょうけんそのものであったが、内容自体はこれまでの使者とは雲泥の開きを持っていた。
もしこの和睦に同意しないとするならば、兵力をあがて京都を焼き払うまでであると、最後は恫喝どうかつに変わっていた。
「信長如きに、負けはせぬ」
義昭は威嚇いかくに一瞬ひるむ己を感じはしたが、語気激しく言い放っていた。
2023/05/01
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