~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
二条御所 Prt-03
しかし、事態はそれどころではない。今日、明日にも織田軍が攻め寄せて来ぬとも限らなかった。
「帝でござります。もはや、帝のお袖にすがる以外手はありませぬ」
一色藤長の言った言葉は、義昭とその側近たちの顔に明るさを灯させた。喉もとに突き付けられた信長の刃をかわすぬは、一時的にもせよそれしか方法がなかった。よもや、天皇の声を信長も無視は出来まいと、すばやく義昭も計算が働いた。
ただちに使者が朝廷に向った。その勅使を受けて信長は、
「謹んで、お受けいたしまする」
と、いともあっさりと和を了承していた。
しかし、己の名代として。佐久間信盛そして細川藤孝を二条御所に送り込んだ信長の和の条件は、義昭の無条件降伏であった。
まだ完全に負けたとは、義昭自身の意識にはない。武田や本願寺、三好などの足並みが揃わぬうちに自分が攻め込まれただけであり、つ時期が悪かったにすぎないと思っている。
和議のめどがたったことで、徐々に義昭は自信と余裕を取り戻していた。となれば、無条件降伏は和約の条件としては、あまりに腹立たしいものに思えてきた。
義昭は目の前に平伏する細川藤孝に、苦々しい視線を投げた。その時頭を上げた藤孝と目が会った。
義昭は無視するかのように、わざと視線を外し、佐久間信盛に向って言った。
「それなるは、あらたに信長に仕えし者か」
瞳は向けず、顎だけを藤孝の方にしゃくって皮肉っていた。
言葉だけでも一矢報いずにはおれぬ、義昭の気持のあらわれでもあった。
無条件降伏に義昭がやっと同意したのは、それから二日後の四月七日であった。
翌八日。一応、義昭を抑えつけたことで満足しなければならなかった信長は、慌ただしく京を発った。やはり武田の動きが気になり、いつまでもめんどうな義昭相手にかかわってもいられなかった。途中、近江の六角義治よしはるを攻めたて威勢いせいをしめし、帰路を急いでいた。
2023/05/03
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