~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
落 城 Prt-02
やがて一の楼、つづいて二の楼が落ちたとの一色藤長の報告に、がっくりと床几から崩れ落ちるように床へへたり込むと、
「和議じゃ藤長、なんとか和議を結ぶのじゃ」
なかば泣くような声で、叫び出していた。
この命令を受けた一色藤長は、まさかの時をも考え、すでに背に負っていた幼児を春日局に託しや、女たちのすすり泣く声の中、藁をもすがる思いで寄せ手の旧友細川藤孝のもとへ直ちに使者を送ったが、最後まで戦いを止めなかった岩成友通は、ついに降伏を承知せず、がむしゃらに斬りたてて城を脱出するにはしたが、のち、淀の近くで追撃の織田勢に囲まれて全滅した。
細川藤孝からの義昭降伏の報せに、
「ふん」
と、信長は鼻をならして、皮肉な笑いを浮かべた。義昭の運命は、信長の手の内にあった。
「なにとぞ」
藤孝は義昭助命を歎願した。
信長は広げた手のひらを藤孝の前に突き出すと、即座にギュッと握ってみせた。
「ひねり殺すのは、たやすきことぞ」
藤孝を睨んで信長はそう言葉には出しはしたが、もともと殺すことまでは考えていないとみえ、あっさりと義昭助命を承諾した。
南北朝動乱より、およそ二百四十年。時代はもはや下剋上的行動を、否定する傾向に向いつつもあった。
三好や松永のような主殺しでは人心を掴み得ず、部下への統制も取れぬどころか、声望を失うことは明らかであり、信長が義昭助命に同意したのは、そういった時代の中で、信長自身が培われて来た体質を十二分に持ち合わせていたからといえるだろう。
しかし、信長の義昭に対する無条件降伏の条件は、厳しいものであった。
義昭の嫡男を人質として差し出すことと、義昭自身を都より追放するというものであった。これはいうなれば、実質的にも形式的にも室町幕府の終焉を意味した。
が、義昭の立場としては、嫌でもこれを飲まざるを得ない。
さらに信長は、先年、義昭に献上していたさこの方を返せと追加要求し、義昭の誇りをもズタズタにひき裂いてきた。
今は信長を憎悪すべき気力もなく、義昭はのろのろと足利将軍の象徴ともいえる桐の紋章の入って陣羽織を脱ぎ捨て、一色藤長にすべての裁量を任せて落ち行くばかりの身となった。
その夜のうちに城を立ち退くことになった義昭は、とりあえず、山城枇杷荘びわのしょうに向うこととした。
従う者、一色藤長を筆頭に上野秀政、槙木照光らわずか十数名の近習とその従者ばかりであった。
女たちでは春日の局と小宰相の局が義昭と行を共にし、先行きに不安と足手まといを理由に、大蔵卿と一対の局はそのまま槙島城に留まることとなった。
一行を裁量しなければならない一色藤長にとっては、やはり女たちは足手まといにはなる。そう言った意味では大蔵卿と一対の局が留まってくれたことは、ありがたいことではあったが、義昭にしてみれば、なんとなく二人には裏切られたような気持もわいていた。
ともあれ、同行の春日の局と小宰相の局には輿が与えられ、城に残った者たちとの別れの言葉もそこそこに、義昭の輿を真ん中にして、一行は慌ただしく城を出て行った。
2023/05/04
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