~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
落 城 Prt-03
先頭の輿に春日の局、そして、義昭をはさんで小宰相の局の輿がつづく。
わずかばかりの松明の炎が、一行の行く手の道を照らしだしていた。思えば、義昭と一色藤長にとっては、奈良一乗院よりの何度目かの夜の逃避行ででもあった。
やや遅れがちになっていた小宰相の輿あたりで、突如、ざわめきと女の悲鳴があがったのは、二度目の休息を終えて、およそ一行が半刻ばかりも進んだ小暗い森を横切ったあたりである。
「何事ぞ」
一色藤長はそう叫ぶや、義昭の輿を守るように身構え、後方の闇を細い根で睨み据えた。
もうこの時すでに、刃物の打ち合う音や、ののしり騒ぐ声々が大きく聞こえると共に、わらわらと得体の知れぬ男たちが抜き身を手に手に藤長たちの眼前に迫り来っていた。
「曲者」
藤長は抜刀すると共に、
「これなるは、将軍家の輿ぞ。無礼はゆるさぬ」
出来る限りの大声で威嚇したが、それで驚くような相手ではなく、やたらと武器を振り廻しては襲いかかって来た。
賊は多人数ではあったが、統率のとれた集団ではなかった。まちまちで、まったくの土賊とみえ、一行の荷駄を我先に奪おうと群がり殺到した。
「荷にかまうな。将軍家を御守護せよ」
藤長は叫び、夢中で向って来た一人に刃をたたきつけた。側近や郎等たちの奮戦で、その賊もやがて潮の引くように闇の中にばらばらと姿を消し、あたりはふたたび嘘のような静寂に戻っていた。
「皆は無事か」
輿から出た義昭が、そう藤長、昭光ら側近衆に声をかけた。
無事どころではなかった。手傷を負った者も多く、あらかたの御物ぎょぶつともいえる荷駄が奪われていた。
春日の局は幸い無事な姿を見せたが、気になる小宰相の姿がなかった。郎等たちの口々の言うことを聞けば、攫われたのではないかという。藤長は五、六人を従えすぐさま後方にとって返したが、小宰相の姿はどこにもなかった。ただ、横倒しになった輿と、従者一人の死体が近くにころがっているだけであった。
藤長は付近をくまなく捜させたが発見出来ず、ようやく明け方近くになって、森の奥から小宰相の冷たくなった骸を発見した。
数知れぬ男たちにさんざんに犯されたのだろうか、裸にむかれ大きく下肢を広げたままの死体の股間は、血と精液でべとべとに濡れていた。口からよだれをたらし、白目をむきだしたままの小宰相の瞳を、何度も藤長は閉ざそうとしたが、無駄であった。
簡単な埋葬をしただけで、ふたたび一行は夜明けの道を急がざるを得なかった。さらにまた他の賊に襲われぬとも限らなかった。
敗残者といい、落ち武者という悲哀を、義昭も藤長も流浪とはまた違った実感として肌身に感じていた。
もはや将軍としての体裁は一行にはまったくなく、ボロボロになりながらの枇杷荘への到着であった。
2023/05/04
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