~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
流 浪 Prt-03
信長にとって、義昭の存在はもう過去のものとなっている。義昭が都に戻りたいのであれば、それなりの遇し方をしてもよいと言うほどにしか義昭を認めていず、ただ、毛利とこじれることだけが厄介と思っていた。信長は羽柴秀吉、朝山日乗の二人に、この面倒な交渉を任せる形をとっていた。
朝山日乗は役目を果たすためにまず裏面から動きを見せ、義昭に対し、都への動座をすでに信長が承知している旨を内々に連絡して義昭の気持をなごませようとした。
一色藤長を通じて義昭に、毛利、織田との三者会見についての同意を正式に求めて来たのは、十月も末の頃であった。
「おもしろきことに、なってきたものぞ。藤長」
義昭は朝山日乗からの申し状を受けたことで、一人悦に入っていた。
「信長は、余が毛利に身を寄せることがよほど恐ろしいとみえる。浅井、朝倉が滅んだとて、まだまだ信長の敵はあまたある。余が毛利を頼れば、どうなるであろうことは、信長自身にもはっきりわかったのであろうよ」
そうなることを毛利自身が一番恐れ、安国寺恵瓊を上洛させてまで、織田との交渉に当たらせていることを義昭は知らない。
義昭は信長憎しのあまり、現在の信長の力を過小評価していた。藤長にはそのことが理解出来ていたが、義昭の機嫌をそこねてはと、あえて異をとなえる言葉を口には出せないでいた。
「さてと」
己のこれからの取るべき行動を楽しむかのように、どうしたものかと、藤長にたわむれのように尋ねてみる。
「ここうはもう一度、穏便に都に戻られますることが良策かとこころえまするが」
藤長は消極的ではあるが、義昭の策謀を諫める意味をも含めて、そういった言い方をした。
「うむ。信長の請いを入れて、都に帰ってやってもよい。しかしじゃ、それは、あくまでも余を将軍として信長が謙虚に迎え、これまでを反省して、幕府に忠義を尽くすならばということぞ」
あくまでも義昭は、まだ己の将軍としての力を信じていた。
この数日、義昭は笑顔を絶やさない。槙島城を追われあの惨めな逃避行を、まるで忘れ去ったかのようにくったくがなかった。
「信長が折れるというならば、都に戻ろうぞ」
春日の局の豊かな乳房にたわむれながら、その夜、義昭はもう毛利に身を預けることなどケロリと忘れでもしたかのように浮かれていた。やはり義昭は、都に身を置くことに捨て切れない執着を、心の底に持っていたといえようか。
「春日には、いかい苦労をかけだせたものじゃ。しかしもう心配はするまいぞ。信長が膝を屈して来るならば、余も過ぎたることは忘れてやるつもりじゃ」
自信を取り戻した義昭のものは、久しぶりといってよいほどに猛々しくなったいた。
2023/05/06
Next