~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
冬の風 Prt-01
会見に応じることに同意した時点で義昭は、もう昔日の威勢を取り戻したような気持になり、そのまま都に還れるものと確信して疑わなかった。
三好義継には、逃避して来た時の消沈した態度とはガラリと変わって、
「世話になったことは忘れぬ。この後も、幕府のために忠義を尽くせ」
と、ひゃ尊大な態度を見せて、朝山日乗の差し向けて来た輿に身を入れ、若江から会見地である堺へと向った。
義昭が去った翌日、上洛して妙覚寺を宿所としていた信長が、突如、若江城の三好義継を佐久間信盛らによって襲わせていた。義昭をかくまったというのが、理由であったが、松永とともにいったん裏切りを見せた者への報復であることに変わりはなかった。不意をくらった事と、すでに調略によって義継の家老たちの大半が織田側に寝返っていたことで、城は脆くも落ち、義継は妻子を刺し殺して後自刃した。
織田が江若城攻撃を開始した同じ日のその夜、恵瓊、秀吉、日乗の三人が、揃って義昭と会見していた。
これまでに上洛していた恵瓊は、すぐに秀吉と日乗とによって、織田、毛利間でのだいたいの意見の調整を済ませていた。
“鉢ひらきのようなる”と、恵瓊の頭は言われている。
が、はじめて恵瓊が対面した日乗も、己に負けず劣らずの、テラテラと光沢のある大きな頭を持っていた。
「似合いたる者、出会いたる御事にて」と、ひとめ日乗を見た恵瓊は、驚きあきれている。
共に外交僧として名を売っており、中国の周公旦しゅうこうたん太公望たいこうぼうのごとくであると恵瓊は日乗を持ち上がながら、油断のならぬ奴だと初見のなかで見抜いていた。しかし、旧知の秀吉に対してはよい感情を持っていて、のちに毛利に報告する文書の中にも、秀吉をなかなかの人物と褒めている。
信長の代は五年三年はもつが、あとは高ころびに、あおのけに転ぶと評した炯眼けいがんには驚くものがあり、三十半ばの野心家の恵瓊は、織田側代表と「天下」を賭けての交渉役に大いなる遣り甲斐と緊張を感じてもいた。
「されば、御御所様には、つつがなく都にお戻り頂くこと、すでに主人信長は了承しておるしだいでござる」
会見に臨んでの秀吉の言葉に、朝山日乗も大きく顎を頷かせた。
義昭は表情を動かさず、
「うむ」
と鼻翼を指の腹でつまんで後、
「信長には、余が毛利下向を留むることじゃな。して、毛利の考えはどうなのじゃ」
義昭は間隔の狭い眉をわざと寄せ、しいて不満そうな表情をしてみせて恵瓊に尋ねた。
「上様が毛利に身を移されますことにつきましては、毛利の光栄これに過ぎたるはなきことにございまする。しかし、これによって、せっかく織田殿が上様を都にお留めする意をみせあれたことを踏みにじる結果となり、いかがなものかと思われまする。しかしそれよりも、もっと大きく天下の事を考えますれば、やはり、将軍家は都に身を置かれるべき事こそが、ふさわしいのではござりますまいか」
「都にの」
義昭は、恵瓊の人並みはずれて大きな頭に視線を向けると、頬をはじめてゆるめた。
「さようでござるな。もはや過去のことはさらりと忘れて、おとなしゅう都で過ごされるがよかろうと、この日乗も愚考いたしまするわい」
義昭はこれまでの行きがかり上、日乗にはよい感情を持っていない。
「おとなしゅうせよとは、どういうことぞ」
はたして義昭は、ムッと唇をゆがめた。
「さ、それは」
日乗は、しまったと思ったのであろう。しばし言葉をつまらせた。
「言わずともよいわ、余が諸大名に内書を発することであろうよ」
朝山日乗を睨みつけての義昭の言葉であった。座はこれによって雲行きがあやしくなりだしていた。この雰囲気に、突然、秀吉が大口をあけてカラカラと笑い出した。
2023/05/07
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