~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
由良の日々 Prt-02
松永久秀降伏によって、畿内は信長のもとに安定を見せた。
やがて義昭にとっては、最悪であった天正元年も暮れようとする。
深々と冷えてくる寒気をふるわせて、さきほどから除夜の鐘が鳴り出していた。
今宵はめずらしく春日の局を抱こうともせず、義昭は藤長一人を相手にまだ深夜の刻をすごしていた。
煩悩を消すという鐘の音に、主従はしばらく耳をかたむける。一乗院より九年の年月が流れていた。
「老けたのう」
神妙な表情をうかべた義昭が、藤長の顔をしげしげと見詰めて言った。そう言った義昭自身も、歳より以上にその顔は老けこんでいた。
「苦労をかけた」
鐘の音がそうさせるのか、今宵の義昭はまるで僧にでも戻ったかのように穏やかであり、慈悲ある言葉すら吐いていた。
「それがしの苦労など、将軍家に比べますればいかほどのものでもござりませぬ。それよりも、この鐘の音を聞くにつけ、顧みればあのとき一乗院より無理にお連れしなければという思いが、先程よりこの藤長の胸をよぎってやみませぬ」
「過ぎたることぞ藤長。余は後悔などしてはおらぬ。足利の血が余を必要としたのじゃ。わかってくれるな。藤長。弱気になってはならぬ。戦いはこれからぞ」
この境遇に、逆に藤長の方が励まされていた。
いつか百八つの鐘の音も止み、天正二年の正月を迎えている。
「まずは、おめでとうございまする」
「今年もいかい苦労をかけようが、よしなにのう」
主従二人はほのかな微笑を顔に乗せ、年の初めの挨拶を交していた。
2023/05/10
Next