~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
由良の日々 Prt-04
この情勢に小躍りした義昭は、すぐさま由良を出て、高屋城に自らも出向く考えを示したが、一色藤長が必死で押しとどめた。
「信長を甘く見てはなりませぬ。ここは、なおしばらく様子を見てからでも遅くはありませぬ」
行くと言ってきかぬ義昭を、藤長、昭光ら側近一同が押さえつけるようにして動座を阻んだ。
義昭はままならぬ身を藤長らに当たり散らした。
それならばと義昭は、四月十四日、藤長に命じて信長を撃てと本願寺顕如を励ます書を書かせ、動かぬ毛利と上杉はさておき、北条・武田にこのことの急報を送らしめた。また、島津義久には大坂方面での戦況と帰洛の協力をあらためて要請させる。
由良湊は川尻の横浜村を挟んで、ちょうど牛の角のような形の入江である。梅雨にはまだ間があるこの季節、空はカラリと晴れ、波もおだやかに凪いでいた。
しかし、義昭にはそんな季節を楽しむ心のゆとりなどはなく、春日の局の湊や近くの末寺などの散策行には藤長に同道を命じ、土地で雇った雑仕女ぞうしめたちを供につけさせていた。
「上様も少しはこの美しい海の景色などながめられればよろしいものを」
春日は小手をかざして波間に浮かぶ小舟に目を細め、藤長に語りかけた。
その横顔を見つめて、藤長はまぶしそうに二、三度まばたきをした。藤長は春日をこれまで美しいとは思っても、それは将軍につらなるものという目で接して来ていた。
が、この時藤長はなぜか春日にまぶしすぎるほどの女を感じ、心がときめくのを覚えていた。
そういった己の感情を恥じるが如く、あわてて視線を波間の小舟に移し、
「寒くはござりませぬか」
と、どぎまぎする己の態度を、あらぬ言葉でごまかしていた。
じっさい、少し風が出て来ていた。
「なんの、汗ばむほどにございまする」
春日は年甲斐もなく頬を赤らめる藤長にまったく気付く様子もなく、そう言葉を返して、青く澄んだ空にさえずるひばりの声に耳を傾けていた。
その晴れやかな顔には、流浪の見の哀れさは微塵も感じられなかった。
数多くの女たちが義昭から離れていたt中で、この由良の地まで行を共にしているのは春日一人である。
義昭にこんぽ美女をどれほどものがあるのだろうかと、一瞬、藤長は首をひねる思いを抱いたが、自分などにはない血の尊さが義昭であり、そう思うこと自体不遜であって、己自身も又義昭一人を慕う者であることに、あらためて思い気付き、雑念を振り払うが如く首を軽く振っていた。
2023/05/11
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