~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
由良の日々 Part-06
高天神城を、そして明智足助あすけ城をも落として鼻息の荒くなった勝頼が、いよいよ上洛実現を目指して三河の長篠城を包囲したのは五月十一日のことである。
当然今回も、家康は信長のもとへ援軍要請の使者を送った。長篠城は武田の猛攻によって、はやくも危機の瀕している。家康の矢つぎばやの催促に、
「こらえよ」
と、信長は答え、滝川一益かずますを派遣しただけで、総力をあげて直ちに動く気配は見せなかった。
信長は迷っていいた。仮に、家康が武田に勝てば家康の力は倍化し、武田が勝てば織田が直接武田の脅威にさらされる。どちらも信長にとっては、おもしろくない結果であった。信長と言う男は猜疑心も強い。武田と家康の同盟もあり得ることだと考える。では、どうするか。織田が確実に武田に勝つか、悪くて引き分け、けっして負けてはならないということであった。
迷いに迷っていたが、信長は思案がまとまり決断すると行動は早い。
「即刻」
と、出陣令を発して、岐阜を発った。
動員をかけた諸大名に対して、人ごとに柵木さくぎ一本なわ一把いっぱ を持たせていた。
こうして武田の騎馬隊と織田の三千挺の鉄砲による、壮烈な戦闘が設楽原しだがらはらで展開した。
おりから空は梅雨明けの時期を迎えていた。雨では鉄砲は役に立たない。が、天候が信長に味方した。雷光と集中豪雨は嘘のようにピタリと止んで、青空すらのぞいていた。
勝ち気にはやる勝頼は、信玄以来の老巧な武将たちの意見を無視し、さらには背後の 鳶ノ巣山砦を徳川の酒井忠次に奇襲されたこともあってカッとなり、鉄砲何するものぞとやみくもに突撃令を発した。
柵の中から撃ちつけてくる三段構えの鉄砲隊に、しゃにむに攻めかかり、倒れても倒れても柵に向かって騎馬隊を突進させた。硝煙が設楽原を覆い尽くした接戦二刻(四時間)、気づけば武田の名のある武将と多くの兵たちが、柵の手前で泥にまみれ屍をさらしていた。
勝頼は、一瞬にして父信玄が築いて来た最強騎馬軍団を失ったのである。わずかな兵に守られて甲府に戻った勝頼は、以後、急速に人望を失い、武田は滅亡への道をたどって行く。
笑いが止まらないのは信長である。こうもうまくゆくとは思ってもいなかった。
凱旋した信長は、さらにこの年、越前の一向一揆をも攻めたてて、これを徹底的に掃討した。
根絶ねだやしにせよ」
とは、信長の一向勢に対する意志であり、一万三千余がこの時虐殺されていた。
── いづかたもたのむべき様体なき ── と、顕如は手足ともいえる伊勢長島と越前の同朋勢をなくしたことを嘆いたが、本山石山の滅亡だけは守り切らねばならず、寺の重宝「白天目」を差し出して信長との間に「和」結ばざるを得なかった。
信長の留まるところを知らない破竹の勢いに、義昭は絶望の悲嘆にくれた。
細川藤孝が明智光秀と共に丹波を攻略中との報せは、義昭と藤長にそれぞれ別の思いを抱かせた。
日々織田陣営の中で頭角をあらわして来た二人の名を聞くと、義昭は不快の表情をあからさまに隠さなかったが、藤長はまったく生き方の違ってしまったかつての友に懐かしみを感じ、遠い昔日に思いを馳せるかのようであった。また風のたよりに信長が、義昭から槙島城落城の時に奪い取るようにして連れ去ったさこの方を二条昭実に側室として与えたのは、この三月であったという。絶世の美女であり、愛憎こもごもに未練の残るさこの方の姿態を思い浮かべ、義昭は信長の嫌味な仕打ちになお一層の憎しみを募らせた。
2023/05/13
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