~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
信長包囲網 Part-01
木津川河口の戦闘結果は、義昭の闘志をさらに掻き立てるものであった。
「あと一押しぞ」
と、義昭は、上杉、北条、武田に毛利との共同作戦を指示する一方、何度も命じそのつど無視されて来た上杉、武田、北条の「三和」を懲りもせずに求めるなど、活発な動きを見せていた。
しかし今度のこの義昭の動きが、ついに天下の情勢を大きく揺さぶる結果となった。武田が毛利との同盟に応じ、北条、上杉も同意の返事を返して来たのである。
義昭の頭の中だけでしか実現不可能と見られていた「三和」が、このに至ってついに現実のものとなっていた。
叫び出したいほどの興奮を、義昭は噛みしめていた。
「信長の息の根、もはや止まったと同じことぞ」
寺の山門に紋を刻ませた常国寺の庭で、久しぶりとも言える義昭の笑い声が、高らかに響いていた。
信長包囲網は完成した。あとは、打って出るだけであった。
これまでの労に報いるとして、毛利輝元には足利の桐の紋の使用を許可し、いよいよ上洛の兵を進めることを命じたのは、鞆に木枯しの吹きはじめる頃であった。
が、その年も暮れようとしても、まだ毛利が動かぬことにしびれを切らした義昭が、吉川元春に対して、翌月をもって海陸から進撃することを命じたのは、あけて天正五年正月十六日のことである。
これを受けて毛利輝元は、吉川元春、小早川隆景、安国寺恵瓊ほか重臣たちを郡山城ぐんざんじょうに集めて連日協議を重ね、やっと出征の時期を二月、進撃を三面東上策と決定した。
山陽道からは義昭を奉戴ほうたいして、輝元、隆景が宇喜多直家の軍勢を加えて進み、京の背後を衝くべく、元春が山陰道を、そして水軍は播磨灘から明石海峡を経て、摂津あるいは和泉に上陸するというものであった。
この作戦内容は、恵瓊の口から直接義昭に伝えられた。
ただちに義昭は、一色藤長、槙木嶋昭光を使者に立て、
「毛利が二月の出征に決したことは祝着である。この旨を東国・北陸の大名たちにすぐさま内書をもって伝え、毛利に呼応せよと命じるつもりである」と、伝えさせた。
しかし、その二月が末となっても、毛利に軍を出動させる気配は見られなかった。
義昭の眉が吊り上がって来た。
「まだか。いったい毛利はいかがいたしたというのじゃ」
一色藤長、槙木嶋昭光に当たり散らし、二月を過ぎるや、ただちにこの二人をして交互に督促に向わせた。
だが、毛利はべつに出動準備をおこたっていたわけではなかった。機動性を備えた織田に比し、大軍団を組織するための招集と準備に暇がかかっているだけであった。
それが義昭の目からすれば理解はしているつもりであったも、ひどく緩慢に見えていた。
義昭の矢のような催促に、困り果てた輝元はとうとう新たなる出陣の期日を三月十六日までと約束することで、ようやく義昭を納得させることが出来た。
「きっとじゃな」
恵瓊からの期日報告に、義昭は強く念を押した。
「こたびは、この坊主めが保証いたしましょうほどにて」
そう答えて平伏した恵瓊の大きな坊主頭を、義昭は睨みつけるようにして、
「うむ」
と、大きく顎を頷かせていた。
2023/05/17
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