~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
信長包囲網 Part-05
その頃、豪雨の中を織田勢は、手取川を越えていた。
いよいよ上杉謙信との直接対決が迫ったいた。が、この時すでに救援すべき七尾城は上杉勢によって落とされていた。
救援の必要がなくなったことを知った柴田勝家は、その後の進軍を躊躇した。しかも作戦上で意見が対立した秀吉がすでにさっさと率いる自軍を反転させ、長浜に引き上げた後でもあった。勢力の半減している勝家は、己の率いる越前宗だけで謙信と戦うことに徐々に不安を感じはじめていた。その間にも手取川の水嵩みずかさは増えつづけ、退去すするにも困難となりつつあった。
豪雨と電光。その最中に上杉勢が出現した。
戦うには戦った勝家ではあったが、はじめから勝負にもなにもならなかった。
「退くな! 退くな!」
勝家の蛮声も、雨と混乱の中でかき消され、たちまち総崩れとなってしまった。
織田側兵は濁流の手取川に飛込み、やっとのことで上杉勢から逃れることは出来たが、多くは対岸に辿り着く前に溺死していた。
勝家の敗報は、久秀の裏切りで機嫌の悪い信長をさらに怒らせ、対して、義昭の画策で反信長の立場にある者たちには喝采を与えることとなっていた。
「信長の滅亡は、近い」
信貴山城の天守で、久秀は己が裏切った読みの正しさに、あらためての満足を感じていた。が、絶体絶命とみえた信長にも、救いはあった。多くの織田側兵を呑み込んだ手取川ではあったが、その後の川の氾濫は猛烈な上杉勢の追撃を断ち切る盾ともなり、一時的にもせよ信玄の南下をくい止める逆の働きをなしていた。
謙信自身もまた、この時渡れそうもない川を前にして、先ずは加賀一国を完全に平定したからという気持を持ちはじめていた。
謙信にそういった気持を起させたのは、あまりにももろ すぎる織田軍勢の弱さにも原因があった。
いまや天下を握ろうとする織田軍団である。最強とはいかぬまでも、それなりの戦い方を見せるだろうと思っていた。それが、あっけないほどに目の前で崩れ去っている。謙信は自軍の強さを認識してはいたが、さらなる自信を持つに至った。
「織田軍団があの程度なら、信長の首などいつでも取れよう」
なにも慌てて上洛せずとも、加賀を平定し、京への道の地固めをしてからでも遅くはないと考えはじめていた。
いっきに南下して来るものと思っていた上杉勢が、九月に入っても加賀の地に留まっていることに、久秀は不安を覚え、狂うべくもない計算に狂いが生じて来ているのをはっきりと感じはじめたのは、越前に向うべきはずの謙信が、越後に向けて兵を返しはじめたことを知った時である。
謙信は越後の領主のみでなく、関東管領かんれいという東国武士の筆頭たる栄職を兼ねている。
「まずは、任務の関東を片付けてのち」
という、義理堅いといえばあまりにも義理堅い考え方から脱却出来ない謙信は、過去にあった上洛の好機をために何度も逸していている。この時の退却も、北条の動きで関東がにわかに気になったがためであった。
2023/05/21
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