~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
秀 吉 Part-04
つづいて秀吉は滝川の亀山城を攻撃した。この間、勝家は動けぬ雪の越前で切歯扼腕せっしやくわんしていたことになる。義昭に毛利を動かすことを請うとともに、家康に対しても使者を送り援助を依頼していた。
天正十一年二月に入って秀吉は、丹羽秀長を勝家の抑えとし、滝川の亀山城に向かって大軍を移動させた。
義昭からの内書を奉じた勝家は、雪解けを待ってもおれず、上杉の抑えに佐々成正を残して、なお深い雪の路を踏んで出兵を強行した。
義昭は輝元と元春に内書を送り、勝家の先発隊が柳ヶ瀬に進出したことを告げて、出兵をうながした。
が、毛利軍団に動く気配は見られなかった。
義昭は再び元春に内書を送り、思い通りにならぬ結果に苛立って、部屋中を歩きまわってはののしる声を張り上げていた。
「なんたる愚鈍ぞ。毛利にはここが好機だとはわからぬのか」
己にはまったく兵力のない義昭は、そうするよりほかに、怒りの持って行く場もなかった。
一方、秀吉は佐和山で諸隊の部署を定め、長浜に到着し、のち、木の本にまで進軍した。
勝家は柳ヶ瀬の北方に陣を張り、その秀吉に備えている。が、秀吉は勝家の布陣が予想以上に堅固なことと、信孝勢が再び秀吉側の大垣城に侵入したことを知ると、自ら岐阜城を攻めるべく木の本を離れた。
勝家の進出で、伊勢の滝川も勢いづき、本来なら秀吉軍の一手を担わなければならない羽柴秀長、三好英次、北畠信雄、筒井順慶らを北伊勢の地に釘付け状態にさせていた。
秀吉が木の本を離れたことを知った勝家側は、まだ防備不十分の大岩山一帯の奇襲を敢行した。当初、勝家自身はまりこの策戦に乗り気ではなかったが、先鋒の佐久間盛政もりまさの強い進言にひっぱられるようにして許可を与えてしまっていた。盛政は大軍を率い朝靄あさもやけむる余呉よご湖を迂回して秀吉軍の背後から猛攻し中川清秀を討ち取った。
結果的にこの奇襲は成功したかに見えたが、気を良くした盛政は再三の勝家の帰陣命令に納得せず、しずたけの秀吉側砦をさらなる攻撃目標と定めて、敵の真っ只中で夜営にはいってしまった。
勝家は運というものからは、完全に見放されてしまったといえようか。
このことを知ったまさかの秀吉が、大部隊を率い、好機とばかりに十三里の夜の道を五時間ばかりで駆け抜け、木の本に到着して来た。
あわてた盛政は、即座に月明かりの中を退却に移ったが、刻すでに遅く秀吉側の進撃がはじまっていた。
盛政のあわてにあわてたこの退却と、前田利家が不意に陣を放棄し移動したことが、勝家側本陣からは盛政軍の潰走とみえたことで動揺し、勝家の制止もきかず雪崩をうって全軍が総退却を開始した。
勝家自身も秀吉勢と戦いつつも、かろうじて敗残の兵をまとめて越前へと走る以外なすすべもなかったのである。
このことをまだ知る由もない義昭は、勝家に期待するところが大きく、もちまえの粘り強さをみせてしつっこくも毛利に出兵をうながしつづけていた。
が、毛利はこの時安芸あきの郡山城に輝元、元春、隆景が集合し、恵瓊をも交えて今後の毛利としての執るべき道を協議していた。心情的には勝家に味方しようとする元春に対し、隆景と恵瓊は強く反発し、秀吉の実力を無視することは毛利の滅亡にもなりかねないと一歩もゆずらなかった。結局、毛利は形勢観望という態度をとることにしかずと、輝元、元春、隆景の連署と花押を押した宛名のない祝賀状をとりあえず作製して、勝った方にその書状を届けるということで決着を見せていた。
この時点で義昭の策謀は、またしても結果を出せずに消滅したといえる。
孤立の勝家は、城に火をかけ自刃した
2023/06/03
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