~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
家 康 Part-04
秀吉の出目はいやしい。平氏の信長や源氏の家康のように先祖を語れるようなものが無い、名もなき百姓の子であった。
この家柄に対する劣等感の反動が、秀吉という男の性癖に大きな影響を与えていた。名門好みといわしめるほどに家柄に憧れ執着し、名家の女をあさっては側室に加えることを好んだことは、戦国武将中まず随一といっていい。
話がそれたが、秀吉はこれまで、信長の後継者を意味するところから「平」の姓を名乗っていた。しかし、それではいつまでたったも信長という枠から抜け出すことが出来ないと感じていた。
実力ではほぼ中央を制し得た彼ではあったが、形の上では依然として信長の旧臣であり、盟主としてかついだ三法師丸や織田信雄には今もって複雑な立場関係にあった。
その関係を一挙に解消するためにも、己の姓を箔のあるものにしなけらばならないと思っていた。
そこで目をつけたのが「源」の姓である。
古来より、武家の社会では政権を取るに源平交替の思想が伝承されていた。となると、「平」の信長にかわって次の天下を納める者は「源」ということになる。
源氏であれば征夷大将軍となって頼朝や足利尊氏のように幕府を開くことも可能であった。
秀吉は「源氏」の姓をどうしても手に入れねばならないと考え、備後の鞆に急使を送ってきた。
「ならん! ならぬぞよ」
秀吉からの使者の用向きを一色藤長から伝奏された義昭は、近頃のしおたれてうた様子を一変させて大きな声を張り上げた。
秀吉を義昭の猶子ゆうしにしてほしいというのが、使者の用向きであった。
使者は巨額の金子を差し出し態度もすこぶる下手に出ていた。役目上、一度ことわられたとてすぐに引き下がらないのは当然とはいえ、藤長に対しさらなる義昭へのとりなしを懇願した。
が、義昭の態度は変わらない。
「猿めの懇願とは愉快じゃ」
当初の怒りを納めた義昭は、逆に余裕を見せて痛快がった。
「氏素性のなき者が、余の猶子になろうなどとは不遜のきわみ。そうであろうがな藤長。使者にはかように申せ。それほどに欲しい猶子の口なれば、秀吉自らが余に頭を下げに来よ。さすれば考えるだけは考えてつかわすかも知れぬとな」
「はっ」
答えはした藤長ではあったが、ここで義昭の言う通りに使者をこのまますげなく追い返せば、秀吉の怒りを買うことは必定といえた。困り抜いた藤長は槙木嶋昭光とも相談し、一両日の猶予を使者に請い、熟慮すると答弁した。
「拒否するにも、それなりの理由がなければ納まりませぬ」
次の日の朝、義昭の機嫌のよい時を見はからって藤長が怒りを覚悟で切り出してみた。
「むろんじゃ」
秀吉憎しの気持であった義昭にしても、一日たてば己の今の立場をよくかえりみたらしく、命令通りに使者を追い返さなかった藤長を別に咎めだてもせず、
「秀吉の気持、まったくわからぬものでもない」
などといった言葉も吐いていた。
いまや多大な権力を握る秀吉である。一時は秀吉に対して抱いていた憎しみの気持から、怒りにまかせてどなりはしたが、ただわけもなくこのまま拒否すればその結果がどうなるかということぐらいは、藤長たちが口に出さずとも義昭は充分認識しえていた。
かつては我が子を人質に出しても。身をまっとうしてきた義昭である。が、譲れぬものは譲れぬよいう義昭の気持は、ついに変わらなかった。
2023/06/08
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