~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
野望の終焉 Part-01
関白に任官した秀吉は、さっそくにもその権威をひりかざして、九州の島津に対し、豊後の大友と和睦せよといった命令を発していた。
形は天皇の勅命による和睦勧告ではあったが、逆らえば関白自らが征伐するから覚悟せよという恫喝めいたものではあった。
八月に入ると秀吉は、越中に大軍で攻め入り、前年の小牧の戦いで敵対した佐々成政をなんなく降参させた。
いよいよ天下統一に自信を深める秀吉ではあったが、ただ一つ、、気を落ち着かせなくさせているのが、家康という存在であった。
講和をしたとはいえ、家康が秀吉に臣従したわけのものではなかったからである。
そこで秀吉が考えたことが、関白という立場によって家康に上洛を求めるというものであった。
すでにこの頃には、大阪城はほとんど完成を見せていた。
この巨大な城と関白という地位の面子にかけても、どうしても家康には上洛させ、臣従させる必要があった。
が、秀吉の手の内を読み取る家康は秀吉からの上洛要請を無視して三河の地に根がはえたかのように、まったくその地を動く気配すら見せなかった。
業を煮やす秀吉ではあったが、家康とは一度戦って苦い思いをなめさせられている。なんとか戦わず家康を懐柔しようと考える秀吉は、嫁いでいた妹を離縁させ、正妻を亡くしている家康の嫁にと、この妹を三河へ送りつけた。
しかし、それでも動かぬ家康に、今度は己が生母大政所おおまんどころを理由はどうあれ人質を意味するものとして三河に旅立たせ、再々度、上洛をうながした。
そこまでされたは、さすがの家康も、態度を変えざるを得ない。また、これ以上拒否そつづけるとすれば、再び秀吉と干戈を交えねばならなくなるのは必定であった。一年前の秀吉と今の秀吉とでは、地位も実力もずいぶんと違って来てい。戦って勝てる自信は、いまの家康にもなかった。ついに重い腰を上げ、しびしぶながら上洛を決心する家康であった。
十月二十七日、家康は大阪城で公に諸大名たちの前で秀吉に謁した。
その前夜、上洛した家康の宿所を突然のしのびで訪れた秀吉は、家康の手を押しいただくようにしてこのたびの上洛に感謝した。そして明日の諸大名たちの面前では己に正式に頭を下げてくれるようにと、くれぐれも頼み込んだという。
2023/06/10
Next