~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
野望の終焉 Part-03
先発隊の敗退に激怒した秀吉は、すぐに自らも出陣の決意を固めたが、厳冬期の渡海の渡海の困難であることを小早川隆景らよって通知され、春まで出陣を見合わせざるを得なかった。
義昭は冬の筑前にまで出陣している小早川隆景に、陣中見舞いの内書と袷を贈ったが、伊予での所領のこともその後に書き加えることも忘れなかった。さらに義昭は、ふたたび島津に対して講和を勧める使者を送り、秀吉自らの出陣を予告した。
その秀吉がおよそ三十万というとてつもない大軍を九州の地に送り込み、自らも大坂を出発したのは春三月一日であった。
予想をはるかに越えた秀吉の大軍に驚いた島津は、軍団をあわてて日向の地まで後退させた。
これを追って秀吉勢は、筑前・筑後と豊後二道より日向に進攻し、島津は敗退しつづけて、ついに薩摩の鹿児島まで追い詰められるはめとなる。
義昭は、重ねて島津に対して和議を勧告するため藤長を派遣した。島津義久から義昭のもとへ、これまでの和議勧告に対する感謝をあたわす書状が届けられ、ついに秀吉の前に全面降伏をしたのは五月八日であった。
「義昭を、粗略にはできぬの」
九州平定を喜んだ秀吉から、思わず漏れた言葉であった。
この風聞を耳にした義昭は、安国寺恵瓊を介して、帰洛についての秀吉の腹の内をさぐらせた。
「もはや義昭も、いまさら将軍の位に固執するものでもあるまいよ。帰洛を望むのであれば、望みのままにさせればよいわ」
秀吉はそう安国寺恵瓊に告げ、いともあっさりと義昭の帰洛について頷き、小早川隆景には帰洛にあたっての船の手配までを命じる好意を示す態度を示していた。
天下は将軍ではなく関白の時代となっている。
まさに日本全土を平定しつつある秀吉にとっては、いまさら前将軍としての義昭の存在などなにほどのものでもなくなっていた。むしろ、義昭の帰洛を受け入れることによって、己の度量の広さを天下に見せつけることが出来るというものであった。
しかし、義昭にとっては、この思わぬばかりの秀吉からの手厚い厚遇に感激し、今まで張り詰めていた意地を、この時点において完全に喪失した。
振り返って見れば、義昭の生活は困窮を極め、前将軍とは名ばかりの、ただひたすら都に帰れることだけを願う毎日とはなりはてていた。
もうほとんど人も訪れることがなくなっている義昭の「公儀こうぎ御座所」と称される常国寺に、一人の僧衣の男の姿があった。男は感慨深げな面持ちで、小雨に煙る山門の扉の桐の紋をしばらく見つめていたが、やがて、ゆっくりとした足取りで人気のない門をくぐり、寺への濡れた石段を登りはじめた。
「細川と申す」
その名に、取り次ぎの若い者は、はじめ小首をかしげていたが、ほどなく一色藤長が玄関に現れ、その男の坊主頭の顔を穴のあくほど見つめた後に、
「なんと、藤孝殿じゃの。久しぶりじゃ」
感極まった声でそう言い、手を取らぬばかりに奥へと導いていた。
2023/06/10
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