~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
野望の終焉 Part-04
寺はそう広くはない。すぐに他の近臣たちも現れて、藤孝は即座に義昭の部屋に通された。
庭園のさるすべりの赤い花が、小雨に濡れて鮮やかに咲いている。
その赤いさるすべりの花から視線をゆっくりと外した義昭は、己の前に平伏する藤孝の丸い頭をじっち見つめた。
「幽斎と名乗っているそうじゃのう」
そうぽつりとつぶやくように声をかけた。
藤孝を目の前にして義昭は、万感の迫る思いを胸に沸きあがらせていた。
義昭からすれば、己を捨てて信長へと走った男である。憎しと思いつづけたこともあった。しかし、その信長もいまや死に果て、己も将軍としては名ばかりのものとなり果てている。思えば十数年もの年月が、それからの義昭にも藤孝にも流れていた。
信長死して後の藤孝は、家督を嫡男忠興に譲って隠居をしたが、その後、秀吉の傘下となり現在も丹後田部の城主であった。六月三日、藤孝はその秀吉の凱旋を筑前の姪浜に出迎え、帰路、安芸宮島の厳島神社に立ち寄った時に、義昭の帰洛を耳にしたという。
部屋には、藤長や植木嶋昭光ら側近たちも詰めかけ、懐かしむように藤孝に視線を注いできた。
「不義理を重ねたる身を重々承知しておりながら、懐かしさのあまり、あつかましくも参上いたしましたる段、お許し願わしゅう存じあげます」
そういって藤孝は、内書にも動くことのなかった非礼をも含めて、もう一度深々と義昭に向って頭を下げた。
「過ぎたることはもうよい。すべては時の彼方ぞ」
野望を捨てた義昭には、そんな言葉を吐けるほどに心境に変化が現れていた。
藤孝との出会いから思えば、二十年は優に過ぎている。
この年、義昭は五十を数えていた。恩怨も長い時に流れによって消滅する、いまの義昭の心の内であった。
「余も帰洛したるのちは、ふたたび出家をする所存ぞ」
と言って義昭は、奈良一乗院での還俗をなつかしむるかのように語りだし、かつての主従たちは刻の経つのも忘れた。ふと気が付くと雨はいつの間にかあがり、庭園は深い夕闇に包まれていた。
その夜、引き止められるままに一泊した藤孝は、翌早朝、なごりを惜しまれながらも、鞆の津に向って旅立って行った。
それから日ならずして、義昭の御所は帰洛に向けての準備に慌ただしい日々を送ることになる。
八月には思いがけない朗報も届いて来た。
義昭にはゆかりの深い興福寺の大乗院に、二歳の時に別れたままの義尊ぎそん尊が、法嗣ほっしとなって入室出来たということであった。二歳の時に信長への人質となった義尊ぎそんは、岐阜で育てられ、そののち興福寺へ預けられていた。
今は十六歳になっているはずであったが、義昭が同じ興福寺の一乗院の門跡であったことを思えば、感慨深いものがあった。
義昭の帰洛とほぼ時を同じくするかのようにして起こり得たこの慶事の背後には、秀吉の力が感じられた。
義昭は秀吉に感謝の念を抱くとともに、我が子の慶事を手放しで喜んでいた。
京の内野うちのに建築中であった聚楽第じゅらくだいは、この九月に完成を見た。それに迎え入れられるようにして、義昭は鞆の地を離れた。およそ十三年の長きにわたった鞆での生活であった。
船上に立って義昭は、離れ行く鞆の浦々をしみじみと振り返った。見送りには来た時と同じように土豪の渡辺守兼が老いた姿を見せて、家来たちとともに手を振っていた。
「長いようでもあり、短いようでもあった」
彼らに手を振り答えながら義昭は、波の彼方へ消えつつある流浪の最後の地に、別れを惜しむかのような言葉を、傍らに控える春日の局にそと洩らしていた。
長い髪を潮風になびかせて頷く春日の局の髪にも、幾本かの白いものが見られるようになっていっる。やはり、苦難の連続の流浪の旅に違いはなかったのであろうか。
めっきり皺の深くなった藤長も、同じ思いを抱くのか、他の近臣たちが立ち去ったそのあとも、今はまったく見えなくなった陸影をいつまでも見つめつづけていた。
2023/06/11
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