~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
ふたたび鞆へ Part-01
義尋が去り、桜も散って肌に心地よい風が吹きはじめた春三月。昌山は思いたって旅に出た。
春日の局をともない、一色藤長、植木嶋昭光、上野秀政ら側近六名を共にして宇治川を下り大坂から瀬戸内のおだやかな海への船旅であった。行く先は備後の鞆である。
鞆の浦は瀬戸内の海のほぼ中央に位置することと、潮の流れがこの地で変化するために、古くから潮待ち、風待ちの船の駅として栄えて来た。
大弥山の山頂から鞆の浦を一望すれば、仙人も酔わす景観であるとその名がつく 仙酔島 せんすいとう が、昌山一行らの船旅の疲れを癒すかのように、湊の前に現れた。
彼ら一行は、かつて一時期御座所にしていた渡辺守兼の館を宿所したが、今は見る影もなく荒れ果て、館の庭には雑草が丈高く茂っていた。昌山らはこの館で数日を過ごすが、着いたその日は館の掃除に側近たちは汗を流さねばならなった。藤長たちは柱の一本一本を磨くたびに過ぎし日のあれこれを思い出し、着いた早々の苦労ではあったが、さしたる疲れも感じなかった。
館の近くの安国寺は、由良から流れて来た将軍義昭の面倒をみた恵瓊の末寺でもある。
小さなこの庵のような寺を見るにつけ、何度となく恵瓊と会見した当時の記憶が昨日のようによみがえって来た。
昌山一行の鞆への到着を知った渡辺守兼が、常国寺へ昌山らを迎えるために、己の館から輿まで用意してやって来た。
さらに老いを深めている守兼の姿を目の前にして、昌山はあらためて鞆でのことについて礼を言った。
「なんの、お変わりもなく。ふたたび御尊顔を拝せしこと、この守兼、心より嬉しく思いまする。なにはともあれ、これよりは常国寺に御滞在願わしくすでに用意を整えさせましたのでこれよりお供させていただきまする」
一別以来の再会を喜ぶ守兼に対して、昌山は、
「すまぬの。そちにはまたもやっかいをかける」
と、これまではこの土豪に対してやや尊大であった態度を一変させるねぎらいの言葉をかけていた。
これより昌山一行は当時の御所であった常国寺に数か月を滞在するが、寺は手入れが行き届き
、前面の池の水も青く澄んであの頃のままであった。
突然の悲報がこの常国寺にもたらされたのは、六月の雨の夜である。毛利を支えつづけた、気力も体力も使い果たして病に伏せていた隆景の死であった。
その夜、昌山は常国寺の仏像の前に一人座りつづけ、何事かぶつぶつとつぶやいては涙を流していた。
そんな隆景の霊に話しかける昌山の背に、藤長たちはこれまでにない昌山のやつれを見た。
そっとその場を離れて藤長ら側近たちは廊下に佇み、おぼろな灯火に照らされる雨足をみつめて、不安気な気持を感じていた。
2023/06/19
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