~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 挽  歌 』 ==
著 者:原 田  康 子
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
第一章 Part-01
なんのお祭りなのだろう・・・。家々の戸口に国旗が立っている。国旗の出ていない家のほうが少ない。わたしの家と道路ひとつへだてた小学校の国旗掲揚搭にも、大きいな旗があがっていっる。その大きな、真新しい旗も、軒先や門にくくりつけられた、赤のせた旗も風が吹くとかすかにゆれた。わたしはなんとなく、この晴れ切った真昼に街中の物音が絶え、ただ幾千、幾万の旗だけがひそかに鳴りつづけているような気がした。
しかし、本当はそうではない。繁華街の方から街のざわめきが聞こえて来る。自動車のクラックション、街頭放送のアナウンス、なにかの音楽、通行人たちの足音と会話ときぬずれ。それらの音が全部溶け合い、重なり合った街のざわめきが聞こえて来る。
わたしの家のある町の一画は静だ。小学校の広いグラウンドがあり、所々に小さな空地があり、戦火で焼け残った古い住宅や、戦災後にできた安普請やすぶしんの木造の住宅が低く並んでいる。わたしに家はおそろしく古ぼけた木造平屋建である。たぶんわたしの祖父が建てた1920年ごろは、ひどく洒落しゃれた家であったかも知れない。主屋おもやから一部屋だけ飛び出た応接間の屋根が丸い。門を出てわたしはちょっと自分の家を振り返ってみた。応接間の、細い二つの窓にカーテンがおろされていた。緑色の光沢こうたくのある支那しな緞子どんすのカーテンである。ただし春でも夏でも秋でも、ぬろん冬でも緑色の支那緞子だ。そして、それは年中窓をおおっている。お客様の来ることなんてないのだから。
崩れかけた低い石の門には、旗はくくりつけられていなかった。旗は押入れのすみ納戸なんどのじめじめした戸棚の中にでも、くしゃくしゃに丸められてまま押し込められているのかも知れない。白地は黄色くなり、赤い丸は虫喰むしくいのあとがあるだろう・・・。
わたしは登山帽をかぶりなおし、スラックスの中のポケットに右手を突っ込んで歩きだした。煙草たばこを買わなければならない。わたしが家を出たのは煙草を買うためであったから。わたしはゆっくり歩いた。しかし二丁先の煙草屋に着かぬ間に、わつぃあに気は変わった。旗が揺れている明るい祝日の街をぼんやり歩いてみたくなったのだ。
わたしは本当に、家を出るまで今日がなにかの祝祭の日であることになど気づかなかった。いつもそうなのだ。祝日も週末も、その日が何月の何日であるかさえ知っていないことのほうが多い。お正月とかクリスマスは、その日になると周囲の雰囲気ふんいきでわかるれけれども、でもいまが秋だということを、わつぃは知っている。十一月三日に市民会館でみみずく座の公演がある。わたしは座員三十名ほどの、その地方劇団の美術部の部員だから、やがて来る十一月三日という日付だけは忘れない。でもその日までまだ一月ひとつき以上もあるのだ。
わたしの家の四人の家族の内、わたしと同様祝日や日曜日に無関心なのは父だろう。でも父は、ときどき「手形の期限が切れる」などとあわてているから、わたしよりも日付を覚えているに違いない。ばあやは、几帳面きちょうめんな性格だから、カレンダーを毎朝めくっている。弟の信彦のぶひこは高校へ行っているから、いつがお休みかということを、ちゃんとわきまえている。
そういえば、今朝わたしが起きた時、わたしの隣室の信彦の部屋にはまだ」kジャーテンがかかっていた。わたしは窓をあけてみたのだ。今朝といっても、十一時近くらしい陽が、雑草がのび、朽ちかけた葡萄棚ぶどうだなから垂れ下がった山葡萄のつるが傍若無人にった中庭に、明るくふりそそいでいた。そして信彦の部屋の窓は固く閉ざされていた。いつもなら、わたしが起きる時刻に信彦が家に居たcためしはない。あわてふためいて朝御飯をかきこみ、学校に行ってしまうのだ。そのあとに、さっそくばあやが彼の部屋の掃除そうじをはじめる。わたしはたいてい隣室のハタキの音でをさますのだ。伸彦はお休みなので、呑気に寝坊していたのだろう。
わたしは、そんなことも考えず、ピジャマのままで、父の書斎に忍び込んだ。煙草が欲しかったのだ。
2023/06/20
Next