書斎とはいっても、父のその六畳間ほどの洋室は、へんに殺風景なのだ。窓際に大きなデスク、天鵞絨びろうどを張った廻天椅子かいてんいす、壁際の古い書棚。部屋には、それだけしかない。おまけに高い書棚はガラ空で、わずかに上段に世界文学全集が六冊並んでいるだけである。わたしは、その本も父が読んでいないような気がする。わたしの記憶に間違いがなければ、むかし、たまに父が手にとった書物といえばたしか「実業之日本」という雑誌だけであった。いまは、雑誌ひとつ読もうともしない。
わたしは父の机の引出しを全部開けてみた。どこにも買い置きの煙草はなかった。煙草ばかりでなく、上の大きな引出しに、書類がわずかと、ペンと、印と、かじりかけのチーズが入っているだけで、両袖りょうそでは見事なほどに空っぽだった。いや、片袖の一番下の引出しに、ボンド・ストリートの空缶あきかんが、がらがら入っていた。
最初からわたしは、煙草がないことを予想していた。一年くらい前から、父はパイプ煙草ばかり用いているのだから、ときどき父の買い置きの巻煙草を、こっそり貰もらっていたわたしは、なんとかして巻煙草に戻もどしてやろうと考え、父がパイプを銜くわえだすと、よくからかったものだ。
「似合わないわ。パパはもうダンディじゃないんだから」
などと。
「ばか、これのほうが経済的なんだ」
父の返答は、いつも決まっていた。そう言いながら、父の喫のむのはプリンス・アルバートとか、ボンド・ストリートなどの外国煙草なのである。戦争以来、商売がすっかり駄目になって、家のあちこちに雨洩あまもりがしたり、壁の汚点しみが地図のように黄色く広がって行くのに、父がボンド・ストリートなどを愛用するのは、彼の贅沢ぜいたくで、気取りやで、気の弱い性格を物語っている。
わたしは自棄やけに、赤い空缶を鳴らして引出しを閉めた。そして壁にさかっていた毛のジャンバアのポケットから、皺しわの寄った百円紙幣を発見した。
それからわたしは服に着替えて台所に行った。広くて、そして床のきしんだ台所で、ばあやが食器を洗っていた。きっと彼女と父の朝食の後片付けなのだ。わたしは戸棚を開けた。
「お目覚め、ですかね」
と、ばあやは割烹着かっぽうぎ姿の小太りの背を向けたまま、聞いた。わたしは返事をしなかった。口を利きくと、二言目ふたことめには喧嘩けんかになるに決まっているのだ。
「パンないの?」
「キャセロールに入っている筈はずですよ」
わたしは、朝、御飯を食べたくない。食欲がなくて、あの粒々ひっかかった御飯を飲込むと、胃に食物でないなにかが詰まったような気がする。
「バタないの」
「ありませんよ」
と、ようやくばあやは振り向いた。
「ご飯と味噌汁みそしる食べたらどうです? 好き嫌きらいばっかしするから、目玉だけ大きくて痩やせっぽっちなんですよ・・・」
またお説教がはじまった。わたしは舌を出してみせ、肩にたれた髪をゆさゆさゆすぶりながら、台所を飛び出した。
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