~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 挽  歌 』 ==
著 者:原 田  康 子
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
第一章 Part-04
わたしが、伝説的な古代の王たちから求婚される筈はないが、そう考えることは楽しい。わたしはロマンチスト、夢を食べて生きている傾向が多分にある。しかしすくなくとも、現実にお見合いの申し込みを受けたりするよりは、ソロモン王との結婚式を思い浮かべる方が、どれだけましだろう。わたしはお見合いの話を受けたことがある。父がどこからか、わたしの夫にしてもよさそうな青年を探し出してくれるのだ。たぶん父は、いろいろな知人に頼んでいるのかも知れない。父はわたしのことが、いくらか気がかりなのだ。わたしのわがままさと、わたしのからだのことが。
わたしのからだのこと・・・。そう、わたしの左手は普通の人のように自由にならない。このごろは軽い物を持ったり、物を抑えたりすることは出来るけれども、三年くらい前には棒のように硬直して動かなかったものだ。しかし今でも屈折することは難しいし、ひじにあのはげしい痛みが戻って来るような気がするのだ。わたしの左腕の肘の状態は、関節硬直というのだそうだ。関節結核に冒され、それをこじらせたのである。
わたしはよく覚えている。肘が痛みだしたころのことを。あれは敗戦の年の翌々年、わたしは数え年で十五になったばかりだった。
毎日わたしは女学校から帰ると、いろいろな家事をしなければならなかった。お掃除、洗濯せんたく蒔割まきわり、おうどんを打ったり、朝食用のパン種の用意をしなければならなかったのだ。わたしのほかに、誰もそんなことをする家族がいなかったからである。信彦は小学生であったし、父は家のことなんか、見向きもしないたちであるし、それでばあやといえば胃痙攣いけいれんで苦しんでいたのだ。平生ばあやはとても丈夫で、風邪などもひいたことがなく、わたしたち姉弟きょうだいが病気にでもなれば、にやにや笑って馬鹿にしていたものである。きっとばあやのあの胃袋は、食事の量が少なく、しかも不味まずいのに挑戦でもするように、毎日トウモロコシの粉をこねたお団子だんご無闇むやみに欲しがったのかも知れない。
わたしはお掃除や食事の支度をするのは、さして辛いとも思わなかった。ただいやだったのは水汲みずくみである。運悪く、ばあやが寝込むと同時に、わたしの家の水道管が凍って壊れてしまった。わたしは何度も市の水道課に、修繕に来てくれるように電話をかけた。しかし、いつも電話の相手は、資材がないとか、人手不足だとか言って、ひどく突慳貧つっけんどんな返事をするだけだった。敗戦のあとには水道くらい壊れるのも当然だ、とでも言いたげな口ぶりであった。
学校から帰ると、わたしはまず大きなバケツを二つぶらさげ、五丁も先の漁師町にある共用栓きょうようせんまで水汲みに出掛けた。普段話し合ったこともない近所の家で、水を貰うのはいやだったからである。もし季節が夏であったら、わたしは遠い森の中の泉に壺を抱えて水汲みに行く、童話の中の女子のこのような気持になれたのかも知れない。しかしあれは冬だったのだ。雪が降らなければ、きっと冷たい西風が吹きまくり、雪も風もない日は、髪の毛まで凍ってしまいそうな寒さが続く真冬だったのだ。
そのうえ共用栓に行っても、すぐ水を汲めるわけではなかったのである。あちこちの共用栓が、凍ったり、こわれたりして、わたしが行く時分には、何十人もの人が、バケツやおけを抱えて、へびのようにうねうねと長く並んでいるのだ。たいていは漁師町のおかみさんや、子供たちであった。彼等かれらはおそろしくむっつりした顔をしていて、ときどき先に汲もうとして押しのけ合ったり、自分の方が先に来たとか、後だとか言って怒鳴り合いをそれいた。わたしは自分の汲む番が来るまで、手袋の上から息を吐きかけたり、足を踏み鳴らしたりしんはがら、ひどく温和おとなしく待っていた。わたしは戦争に負けた悲しさ、あるいはわびしさというものを、歯をカチカチ震わせながら十五のわたしが感じたことをよく覚えている。
2023/06/23
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