~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 挽  歌 』 ==
著 者:原 田  康 子
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
第一章 Part-05
わたしの左の肘が痛みだしたのは、いつごろからであろう。ばあやが胃痙攣をおこすそのよほどまえから、病菌は関節に忍び寄っていたのかも知れない。最初、わたしの肘は重いバケツをさげて、家にたどりつくとずきずきうずいた。熱感のない、不快な重い痛みであった。やがてそれはお饂飩をこねるときも、弟やわたしの下着を洗う時も学校にいるときも疼くようになり、夜、痛みのために眠れぬようにさえなった。わたしは一人で肘にエキホスをり誰にもそのことを言わなかった。見たところすこしれているように思われる程度で、わたしの痛みは、口で説明しても誰にも知って貰えそうになかったからである。それに病気のばあやに言うのは、なんだかいやだったし、父とは父娘おやこらしい会話を交したこともなかったのだから。わたしは毎日水汲みや、そのほかの家事をつづけた。わたしの心の中には、わたしがどこまでこの痛みに耐える事が出来るか、ためしてみようというような気持もあったようである。
しかし、ある日わたしはとうとう教室で失神してしまった。そのとき、わたしは体の中の力が、全部全部尽きてしまったのかも知れない。わたしは激痛と、不眠のために貧血を起してしまったのだ。
わたしは先生やクラスメートに抱えられて、衛生室のベッドに運ばれてから、わたしが貧血を起こしたことに気づいた。しかしわたしは、わたしの倒れた場所が、わたしの家でなく、学校であったことにむしろほっとした。わたしの家族よりもクラスメートや先生に苦痛を訴えるほうが、まだしもましなように思ったのだ。
わたしのクラスの担任であった若い音楽教師の市橋先生が、知らせを聞いて衛生室に飛び込んで来た。そのころ、わたしは誰よりも市橋先生が好きだったので、彼の姿を見ると急に悲しさがあふれた。わたしは彼に、肘が痛いことを訴えた。わたしの声はひどく低くて、老婆ろうばのようにかすれていた。
養護教官であった中年夫人の花岡先生が、わたしの左腕をベッドの中から引っ張り出そうとした。わたしは痛さにために短く叫んだ。
その時すでに、わたしの関節は屈折出来なくなっていたのである。
「関節炎じゃないの?」と花岡先生は、まゆをひそめて周囲の人たちにささやいた。市橋先生が、わたしを家まで送り届けようと、言い出した。わたしはでも先生に、家へは帰らずに真直まっすぐに病院へ行きます、と言ったのだ。わたしは家に帰っても、痛みがどうにもならぬことを知っていたし、わたしが今まで一人で我慢してきたのだから、一人で医者に行って処置せねばならないような気もしたのである。
しかしわたしは市橋先生に負われて病院に行った。ベッドから降りたとたんに、わたしはまたよろめいてしまたのだ。わたしはとても、病院まで歩いて行けそうもなかったのである。それに、戦争が終わって二年にもならぬそのころ市内には営業用の車なんか、ひどく少なかったのだ。
粉雪が、ひどく静かに降っていた午後であった。わたしは生徒玄関まで級友に抱えられてゆき、そこから市橋先生に背負われた。
「先生、軽いでしょ。れいちゃんのウエスト級で一番細いんだから・・・」
と十人ばかり送りに来ていた級友の一人が言った。
先生は「よいしょ」と、掛声をかけてわたしを背負い、「こら、教室に戻れ。何の時間なのだ?」
とすこし笑いながら、級友たちをしかった。しかしクラスメートはわたしたちが校門を出るまで玄関に立っていた。
校門を出る時、澄みとおった友だちの声が聞こえた。わたしは振り返らなかった。振り返る元気もなかったのだが、ひどく悲しくて、振り向いたりしたら声をあげて泣き出しそうな気がしたのである。
2023/06/25
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