~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 挽  歌 』 ==
著 者:原 田  康 子
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
第一章 Part-06
市橋先生は、ときどきわたしを雪の上に降ろした。
「重いんだね、案外」と、彼は肩で喘ぎながら、いくぶんおどけたように言った。きっと彼は、わたしを背負って街を歩くのが、照臭かったのだろうし、わたしを力づけようとしたのかも知れない。
わたしが連れて行かれたのは、高台にある総合病院であった。戦災をいくらか受けたので、その病院の古い二階建の建物は、床がきしみ、板壁がほうぼう破れて、おそろしく寒かった。寒さは診療室の中にまで忍び込んでいた。わたしを診たのは、背の高いドイツ人のような顔をした外科主任であった。外診とレントゲン透視の結果、医者はわたしの病名をひどく事務的に市橋先生に告げた。
「なんだって今まで放っておいたんです?」
先生に答えられる筈がない。先生は、しこし咎めるようにわたしをみつめ、そして悲しそうな顔になった。医者は、わたしと先生を見較べて、わたしの腕を切断しなくてすむかどうかは受け合えない、と今度はひどく丁重に言った。
わたしは腕をもがなくてもよかった。関節硬直にはなったが、その日はすぐ切開手術をうけて、どうやら外見上の不具にならずにすんだのである。しかしわたしは何度も手術をうけ直さねばならなかったし、一年近くもその病院に入院し、学校は退学してしまった。あの日、校門を出る時、泣き出しそうになったのは、それがわたしにとって、Auld Langu Syne を歌うべき日であったからだりう。
本当にわたしは、あの七年前の、粉雪の降っていた日のことをはっきり覚えている。
病室が決まるまで市橋先生と二人で蒲団のない鉄製のベッドに腰かけていた。窓硝子の破れた、殺風景な小部屋のことも、硝子の破れから吹き込んでいた、さらさらした固そうな雪の粒のことも。
市橋先生は、わたしの家に電話をかけたあと、父が来るまで、ずっとわたしに付き添っていたのである。先生は、わたしの肩を抱いていた。彼は、病院に着くまで、おどけたりしていたのに、わたしが重症であることを知ったとたんに、すっかり落着きをなくしたようであった。
「兵藤君、兵藤君・・・」と、彼は絶えずわたしの名を呼んだ。それ以外の言葉を忘れてしまったように。彼は、わたしの右側に坐っていたから、肩を抱いていた掌をすべらせて、わたしの悪い方の左腕をときどき撫でた。
「君のこの手、なくなるのか」
と、彼はいくぶん声を震わせて言った。わたしの方が、まだ落ち着いていた。きっと人間は、それが絶対に脱けだされない、自分自身の痛みである場合は、案外落着けるものなのかも知れない。
2023/06/25
Next