~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
女の夜市 Part-02
いまも、街道を歩いているなりはただのゆかたがけだが、その下にはこっそり柔術の稽古着けいこぎを着ている。
宿場のはずれに出たころ、野良のらがえりの知りあいから、
「トシ、どこへ行くんだよう」
と声をかけられたが、黙っていた。
まさか女を強姦ころしにゆく、とは言えないだろう。
今夜は、府中の六社明神ろくしゃみょうじんの祭礼であった。俗に、くらやみ祭といわれる。
歳三のこんたんでは、祭礼のやみにつけ込んで、参詣さんけいの女のそでをひき、引き倒して犯してしまう。そのときユカタをぬいで女が夜露にぬれぬように地面に敷く。その上に寝かせる。着ている柔道着は、女の連れの男衆と格闘がおこった場合の用意のつもりだった。
歳三だけが悪いのではない。
そういう祭礼だった。
この夜の参詣人は、府中周辺ばかりではなく三多摩さんたまの村々はおろか、遠く江戸からも泊りがけでやって来るのだが、一郷いちごうが消されて浄闇じょうあんの天地になると、男も女も古代人にかえって、手当たり次第に通じ合うのだ。
いよいよ下谷保しもやぼうを過ぎたあたりから、府中の六社明神めざしてゆく提灯ちょうちんのむれが、めだってふえはじめた。
江戸の方角に、月があがった。
月の下をどの男女も左手に提灯を持ち右手に青竹のつえをひいて異常な音をたてながら押し進んで行く。蝮の出る季節だから、青竹の先をササラに割り、道をたたいて蝮を追い散らしながら歩いて行くのだ。
歳三も、青竹を持っていたがこの男の杖だけはただの青竹ではなく、ふしをぬいて鉛を流し込み、ずしりと鉄棒のように重かった。
蝮をおどすよりも人間をおどすほうに、これは役に立つ。
この近在では、歳三のことを、
「石田村のバラガキ」
蔭口かげぐちで呼んでいる。茨垣ばらがきと書く。触れると刺す例のいばらである。乱暴者の隠語だが、いまでも神戸付近では不良青年のことをバラケツというから、ひょっとするとこのころ諸国にこの隠語は行われていたのかも知れない。
歳三が府中に着いたのは戌ノ刻はちじの少し前であった。
府中の宿しゅく六百軒の軒々には、地口行燈じぐあんどん蘇芳色すおういろの提灯が吊るされ、参道二丁の欅並木には高張たかはり提灯がびっしりと押し並んで、昼のように明るい。
2023/06/26
Next