~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
女の夜市 Part-03
いわば、女の夜市よいちなのだ。
歳三は、女を物色して歩いた。ときどき、同村の娘や女房連とすれ違って向うから袖をひかれたりしたが、
「よせ」
と、こわい眼をした。歳三にはふしぎな羞恥癖しゅうちへきがあって、同村の女と情交したことは一度もなかった。同村だと、いずれはあらわれるからだ。だから、
「トシはかたい」
という評判さえあった。歳三は、情事のことではやされるのを極度におそれた。
理由はない。
一種の癖だろう。だから、
「トシはねこだ」
ともいう者があった。なるほど犬なら露骨だが、猫は自分の情事を露わさない。そういえば、歳三は情事のことだけでなく、どこかこの獰猛どうもうで人になつきにくい夜走獣に似ていた。
もっとも、歳三が同村の女と情交まじわりたくないのは理由があった。土百姓の女には、なんの情欲もおこらなかったのだ。
(女は、身分だ)
と考えていた。美醜ではない。それが歳三の信仰しんこうのようなものであった。
自分より分際の高い女に対しては、ふるえるような魅惑を感じた。こういう性欲の肩を持つ男も少なかろう。
たとえば、去年の冬、この男がある生娘きむすめと通じたのもそれであった。
女は、八王子の大きな真言寺院の娘で、その宗旨のならわしとして、娘はその門徒たちから、
「おひいさま」
と呼ばれていた。歳三はただそれだけを耳にし、娘をまだ見ない前から、その娘と寝たいと思った。
歳三はこの娘と通じるために、わざわざ二里離れた八王子に数日逗留とうりゅうした。
ついでながら、歳三は八王子付近の住民から「薬屋」と呼ばれていた。
このころ、この男は薬の行商もしていたのだ。
もっとも歳三の家は、農家ながらもこの一郷では、「大尽だいじん」と呼ばれているほどの家だから、薬の行商をしなくとも暮らせるのだが、家に、「石田散薬さんやく」という、骨折、打身うちみに卓効ある家伝の秘薬が伝わっている。
原料は、村のそばを流れている浅川河原で取れる朝顔に似た草で、葉に、トゲがあるそうだ。その草を土用のうしの日に採り、よく乾して乾燥させ、あとは黒焼きにし、薬研やげんでおろして散薬にし、患者にそれを熱燗あつかんの酒で一気に飲ませる。奇妙なほどに効いた。のちに池田屋ノ変のあと負傷した新選組隊士に歳三がひとりひとりに口を割るようにして飲ませてみたところ、二日ほどで打身のシコリ取れ、骨折も肉巻きがしなかったといわれている。。
その家伝「石田散薬」の行商をして、歳三は、武州はおろか、江戸、甲州、相州まで歩いた。それがこの男の少年の頃からの剣術修業法で、町々の道場に立ち寄ってはこの骨折、打身の薬を進呈し、そのかわり一手の教えを請うた。
当時歳三がしばしばその辺りまで足をのばして逗留した甲府桜町に道場を構える神道無念流の梶川景次などは、のちに京の新選組のうわさを耳にし、
「土方歳三とは、あの武州の薬屋か。あれならばそれくらいのことやるだろう」
といったという。
2023/06/26
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