~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
七里研之介 Part-03
歳三は、翌朝、連雀村を出ると、その足で八王子へ行った。
連雀村から五里。
武州八王子は甲州街道に近い宿場で、街道はこれより西は山中に入り、小仏峠こぼとけとうげを越えて甲州に入る。
戦国の昔から家康の江戸入府にゅうふのころにかけて、関東、甲府で主家を失った落武者が、多くこの地に集まった。
徳川家ではこれらを「八王子千人同心」という名で一括して召し抱え、小仏峠から侵入して来る仮想的に対し、甲州口の要塞ようさい部隊として屋敷地を与え、四方四里にわたって居住させていっる。
自然、彼らを顧客とする剣術道場が出来、中でも比留間半造の甲源一刀流の道場がもっとも栄えた。歳三が斬った六車宗伯も、この道場の師範代である。
(思ったとおりだ)
と歳三はみた。
例のあさ・・ は、六車宗伯の徒類で、八王子を根拠とする甲源一刀流の剣客に相違ない。彼らは、根気よく六車斬りの下手人を探しているのだろう。
歳三は、八王子の専修坊に入った。
かつて薬売りをしていたころ、八王子に来ればかならず泊まった真宗寺院で、この寺の娘の部屋に忍んだこともある。
院主の善海は、歳三の身なりの変わりように驚き、江戸で渡り用人にでもなっているのかと訊いたが、
「なに、道中の賊除ぞくよけにこんな恰好をしています」
と自分に関する話題を避け、
「娘御は?」
と訊いた、別に訊きたいわけでもなく、差し当っての話題がなかったからである。
「去年の秋、嫁にいった」
までは、驚かなかった。院主は、
せん・・は」
と娘の名をいい、
「このさきの千人町せんにんまちの比留間道場の当主、半造の内儀になっている」
(ほう。・・・)
さりげなく、
「あの道場には、六車宗伯というじんがおりましたな」
「いた。が、去年、六社明神の猿渡屋敷の裏で、何者とも知れに者に撃ち殺された。当初は、すねを斬られているところから、蕨の柳剛流の連中に押し包んで殺された、といううわさがあったが、いまは別のうわさがある」
「どんな?」
天然裡心流だという。確証があるらしく、道場の者が躍起にさがしている」
「あの道場には」
歳三は、ちょっと言葉を切って、
「色白で右眼の下にあざのあるおひとが、たしかにいると伺いましたが」
「師範代の七里研之助しちりけんのすけのことではないか」
「七里?」
歳三は、とぼけている。
「どういう仁です」
「出来るらしい。もともとは甲源一刀流ではなく上州真庭まにわで念流を修めたらしいが、武州へ流れて来て、道場の食客になっている。居合の名人で、あれほどの者は江戸にもざらに居ないという」
2023/07/03
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