~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
七里研之介 Part-04
歳三は、数日泊まった。寺からは一歩も出ず。顔見知りの寺男などから、七理研之助のうわさを聞き集めた。
年のころは、三十前後で、ときどき道場で酔うと門弟たちに両手を後ろにまわして縛らせ、腰をひねって白刃はくじんを高く宙に飛ばし、さらにツツと駈け寄って落ちて来る刀をさやにおさめた。
居合は、上州の荒木流だという。この荒木流では、上州厩橋うまやばし江木町に住んでいた郷士大島新五右衛門(安永八年四月十四日没)が、弟子に抜き身を屋根ごしに投げさせ、軒先で待って、それを腰の鞘におさめるという曲芸のようなことをした。上州荒木流にはそういう伝統があって、七里研之助もそんな曲抜きのような技術を学んだのだろう。
(なに、どれほどのことがあるか)
歳三は、おくする心の生まれつき薄い男で、七里研之助に探索されたあげくに殺されるよりも、むしろ先制して撃ち殺そうとした。
いったん江戸の道場に帰り、すでに隠居をしている先代周斎老人に、
「もし居合を仕掛けられた場合、どう防げばよろしゅうございましょう」
とたずねた。
「一にも二にも退く」
退いて、初太刀をはずすのである。相手の刀がまだ空中にあるとき、すかさず踏み込んで撃ちおろせば必ず勝てる、と言った。
「もし」
と歳三は言った。
「背後に巨樹、土塀どべいなどがあって、思うさまに足を退けぬ場合、どうします」
「気をもって、相手のつばを圧するしか防ぐ道がない」
「ところが、それらがいずれも出来なければ?」
「斬られるまでさ」
周斎は居合のこわさを知っている。
数日して、歳三は若師匠の近藤に、
「しばらく、もとの薬屋に戻りたい」
と頼み、髪形から服装まで変えて、もう一度八王子に出かけた。
今度は専修坊には立ち寄らず、いきなり千人町の甲源一刀流比留間道場を訪ね、放胆にも道場内の庭にまわって、
「御師範代七理研之助までお取次ぎねがわしゅうございます」
と頼んだ。
七里が出て来た。
「なんだ、薬屋か」
と、じっと見おろした。
「へい、石田散薬と申し、打身の・・・・」
と薬の効能の説明をしながら、七里研之助の様子をうかがった。
なるほど右眼の下にあざ・・がある。背が高く、右手が心持ち左よりも長く思えるのはいかにも居合師らいしが、あごからくびすじにかけて贅肉ぜいにくがくびれるほどにっているのは、武芸者らしくない。三十とすれば、年よりけてみえた。
「当家には、はじめてか」
「いえ、御当家さまの御新造さまのお実家さとには、年来、ごひいきにあずかっていただいております」
「住所はどこだ」
と、研之助は、歳三は、聞き取れぬほどの早口で村の名を言ってから、
「御新造さまが、よくご存じで」
「そうか」
研之助は、門弟に目くばせして奥へ報せにやり、ひょいと覗き込んで、
「薬屋、手に竹刀しないだこ・・があるな」
と言った。
薄っすらと笑っている。
歳三は、驚かない。
「少々いたずらをいたします」
「何流で、どこまで行った」
「お買いかぶりなすっては困ります。いたずら半分でございますから、きまった師匠などはございません」
そこへ門弟が戻って来て、内儀は他行たぎょうしていると言った。
「薬屋。──」
研之助は、何か思い当たるところがあったらしい。
「ちょうど退屈している。付き合ってやるから、すこし汗をかいて行ったらどうだ」
「それは」
むろん望むところだった。研之助の手筋を見るために、わざわざここまでやって来たのである。
歳三は、道場のすみで両膝りょうひざをそろえ、研之助の投げ与えた防具をつけた。
2023/07/05
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