~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
わいわい天王 Part-01
土方歳三が防具をつけて道場の真ん中へ出ると、七里研之助はまだ支度したくをしていない。ばかりか、道場の正面で稽古着けいこぎのままあぐらをき、あごを撫でている。
「薬屋、支度ができたらしいな」
と七里は大声で言った。
「へい」
歳三は、聞き取れぬほどの低声こごえで、
「御用意ねがいます」
「できている」
七里は、道場のすみで面、籠手こてをつけている五、六人の門人の方をあごでしゃくってみせた。
「まず、この連中とやってみな。遠慮はいらねえ、みな、当道場では、目録、取立免状とりたてめんじょうといった剣位だ」
七里は、すでにこの薬屋がただ者でないことを見抜いているらしい。
「ご審判は?」
「審判か」
薄く笑って、
「当道場の他流試合に審判はない。申し入れた者が、立ちきり・・・・でやる。ねをあげたほうが負け、というのが、わが八王子の甲源一刀流の定法じょうほうだ」
だっ、と一人が飛びかかった。
歳三は飛びさがって胴を撃った。が、勝負かちまけをとってくれる審判が居ないから、男は、胴を撃たれたまま、面へ面へと来る。
(これァ、乱暴だ)
はずしては胴を撃ち、飛び込んでは起籠手おごりごてを撃ち、り上げては面を撃つなど、歳三の竹刀さばきは自分でも驚くほど巧緻こうちをきわめたが、相手は歳三を疲れさせるだけが目的だから、撃たれても撃たれても飛び込んで来る。
やがて、さっと退く。
すかさず、新手あらてが入れ替わって撃ち込んで来る、という寸法だった。
きりがない。
(野郎、たたっ殺す気だな)
歳三はそう思ったとたん、三人目で竹刀をとりなおした。これには仕様しざまがある。
三人目が面へ撃ち込んで来た時、歳三は相手の切尖きっさきを裏から払った。瞬間、くるりと体をかわして左半身から力まかせに相手の右胴のすきまをぶったいた。
腋下わきしただから革胴の防ぎがない。
相手はなまあばら・・・をへしまがるほどにたたかれ、ぐわっと跳ねあがると、そのまま板敷の上に体をたたきつけて気絶した。
(きやがれ)
こうなると、度胸のすわる男だった。
つぎの男には、出籠手でごてをたんと撃って竹刀を落し、突いて突いてつきまくってやると
「参った」
と、道場の隅に座り込み、自分で面を脱いだ。刺子さしこの衿にまで血がにじんでいる。
が、歳三も疲れた。
五人目の男には、手足の関節がねばって機敏なわざが出来ず、逆にしたたかに撃ち込まれた。
歳三は、受けの一方だった。相手の竹刀は容赦なく、歳三の肩、腕のつけ根、ひじ、などあらわな部分にぴしぴしと食いこみ、ときには息がとまった。
(やられるか)
眼がくらみそうになった。竹刀が鉄棒のように重くなっている。
と、夢中で竹刀をひるがえし、上段から相手のすね・・をはらった。
六車宗伯を斬った時の手である。相手は撃たれまいと、さがりながら足をあげる。
さらに撃つ。
またあ、あげる。
相手は振り落ちる歳三の竹刀の上で、足をあげては退き、あげては退いて、まるで踊っているような姿になった。むざんなほどに、たいがくずれてゆく。
前回にも述べたが、このすね・・撃ちは、剣術では邪道とされ、諸流にはない。むろん、この道場の甲源一刀流にもなければ、近藤一門の天然裡心流にもない。
ただ、柳剛流にみある。
武州蕨で興ったいわば様子かまわずの百姓剣術で、蕨のひと岡田総右衛門奇良きよよしという人物が創始した。
2023/07/06
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