~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
わいわい天王 Part-05
多摩出張はの日は、いつもまだのあがらぬ暗がりに出る。
この日は、どの師範代の番の時でも、道場の門を八の字に開き、門わきに定紋を打った高張提灯たかはりちょうちんをかかげ、近藤が紋服を着て式台しきだいまで送り出す慣例になっていた。
歳三が草鞋わらじをむすんでいると、近藤がその背越しに、
「総司も同行するように申し付けてある。あいつ、支度が遅れているようだから、すこし待ってやってくれ」
「総司が、なぜ」
はっと歳三が思い当たって不機嫌ふきげんそうに振り向くと、近藤がめずらしく弱気そうな愛想笑いを浮かべて、
「道中の話し相手だ」
「話し相手など、要らん。第一、総司のような多弁な奴と一緒に道中をさせられると、疲れてかなわぬ」
「来た」
総司は道場の方からまわって来たらしく、すでに手甲てっこう脚絆きゃはん四肢ししをかため、腰に馬乗り提灯を差し、はかまははかず、尻をからげている。それが、この二十はたちの若者にはひどく小意気に見えた。
内藤新宿を出て甲府街道に入ったあたりで沖田総司が、
「こんどの出張では、多摩もおこかの村できっと、やつらに会いますぜ」
「やつら、とはなんだ」
「困ったな土方さんの素っとぼけには」
沖田は、この男の好みの大山詣おやままいりの笠を子供っぽくかしげながら、
「七里研之助など八王子の連中ですよ」
と、ずばり言った。
「じつは、こうです」
沖田は、探索の結果を打ち明けた。それによると、八王子衆は、わいわい天王に身をやつして甲州街道筋に出没しているという。
これらは猿田彦さるだひこの面をかぶっている。
安政の大地震このかた、世が攘夷じょうい論さわぎで物情騒然となってくるにつれて、関東一円にかけ、この徒輩横行がめだっている。つまり、牛頭天王ごずてんのうに祈願をこめたと称する家内安全無病息災の神符おふだを家ごとに売って歩く乞食こじき神主のことだ。
黒紋付の羽織に袴をはき、粗末な両刀を帯て、
「わいわい天王さわぐがお好き」
などとうたいながら町々を歩く。世情が不安だから、こんな神符でも買う者が多い。
「ところがね」
沖田が言った。
「土方さんの石田村にはあの小さな村に、三日にあげず二、三人ひと群に組んでやって来るそうですよ。それが、きまって八王子から来るそうだ」
その日は、いつものことで、日野宿の佐藤屋敷に泊まった。沖田と一緒に夕飯を食っていると、庭先でかさこそと足音がする。
「総司」
と、歳三は目くばせした。
沖田ははしを捨てるなり、飛び上がって障子をぱっと明けた。
縁側に、大男が立っている。
猿田彦の大きな面をつけ、じっとこちらを見て、動かない。
2023/07/08
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