~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
分倍ぶばい河原がわら Part-02
ちなみに。──
武州(東京都、埼玉県、神奈川県の一部) の地は、江戸を含めて、面積およそ三百九十方里。
石高こくだかにすれば、百二十八万石。
ほとんど、天領てんりょう(幕府領)の地である。 江戸の関東代官、伊豆の韮山にらやま代官(江川家)などの幕吏が治めていたが、諸国の大名領と比べるとうそのような寛治主義で、収税は定法じょうほう以上はとりたてず、治安の取締りもゆるい。百姓どもも、
── おらァどもは大名の土百姓じゃねえ。将軍様のじき百姓だ。
という気位があり、徳川家への愛情は三百年培われている。これは、近藤にも土方にも血の中にある。
それに代官支配だからお上の目が届きにくく、自然、宿々には博徒が蟠踞ばんきょ し、野には、村剣客が力を誇って横行した。こういう現象は、日本六十余州を眺めて、武州と上州のほかにない。
七里研之助が、代官所に訴えず、剣は剣で解決しようと言ったのは、武州剣客独特の始末のつけかたで、歳三にもよくわかる。
「総司、門まで送ってやれ」
歳三は、飯びつを引き寄せながら、
「場所と刻限をよく伺っておくのだぞ」
いつもより一杯多く食べた。
食い終わった頃、沖田総司が戻って来て、
「場所は分倍ぶばい河原がわらの橋の上。刻限は、月が中天ちゅうてんにさしかかるいぬ下刻げこく。人数は、先方も二人だそうです」
「ああ」
歳三は寝ころんだが、すぎ起き直って、刀をあらためた。
六車を斬った時の刃こぼれが無数にあって、使い物にならない。
「総司、これで、斬れると思うか」
「さあ、どうかなあ。私は土方さんのように人を斬ったことはありませんのでね」
可愛い口許くちもとで、からかうように笑った。黙っているくせに、六蔵斬りの一件は近藤から聞いて知っているらしい。
「しかし、そいつはひどい刃だ」
沖田は覗き込んで、
「斬れるかなあ」
歳三はすぐ納屋に走って行って、砥石といし四、五種類を探し出し、それを使って井戸端で刃を研いだ。手の器用な男だから、手間ひまをかければ、へたな研師とぎしぐらいはつとまる。
月が雲に隠れた。やがて雲間から出た時、背後でひたひたと近づいて来るわら草履の足音がした。やがて止まったかと思うと人影は歳三の後腋にしゃがみ込み、じっと手もとを覗き込む風であった。
(・・・・)
どうせ沖田だろうと思ってかまわずにごしごし研いでいると、
「この夜分、なぜ刀を研いでいる」
当家のぬし、佐藤彦五郎であった。
何度も繰返すようだが、これは歳三の義兄である。姉、おのぶの婿むこで、としは歳三より五つ六つ上。
佐藤家は戦国の頃から続いた名家で、代々武張ったことが好きだった。とくに彦五郎の亡父は非常な剣術好きで、近藤の養父周助を経済的にも後援し、自邸の長屋門の片っ方をつぶして道場に仕立ててやったり、上石原の農家の子勝太を周助の養子に取り持って近藤勇という若い剣客を作りあqげたのも、この佐藤家先代である。佐藤家がなけてば、天然理心流も多摩で栄えず、近藤勇も世に出現しなかったといっていいだろう。
当主の彦五郎はまだ若い。これも亡父に輪をかけた武芸好きで、すでに勇の養父から目録を許されている。
生まれつきの長者風のある男で、温和な性分だが、それでも後年、新選組結成当時の資金はこの人物から出た。
「・・・・」
歳三は、黙々と研いでいる。彦五郎は機嫌を取るような言い方で、
「よせよ、喧嘩けんかなどは」
「喧嘩などはしません。このあたりの野犬が出てうるさいから、始末しに行くのです」
「ああ野犬か。あいつは、毛並みの方から斬っちゃ、斬れないよ。逆からこう」
と手で斬るまねをして、
「斬るのさ。知ってるかい?」
彦五郎は、育ちなのか、性分なのか、にこにこ笑っているばかりで、人の口を疑うということをしない。
だからこそ、人の悪い歳三も近藤も、かえってこの福々しい長者を尊敬して立て、近藤などは義兄弟の杯を交したほどなのである。
義兄にいさん、頼みがあるのだが」
「なんだね」
分倍河原の南に分倍橋という小さな橋があるでしょう。あのあたりに野犬が多いといくから、斬ったやつはみな橋のたもとに片寄せておく。朝になったら下男でもやって片付けてほしいんだ」
「あいよ」
歳三は、部屋に戻った。
彦五郎に頼んだのは、むろん、自分と沖田の死体のことである。
2023/07/10
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