~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
江戸道場 Part-03
夕食は、近藤がぜひ一緒に、と言うので、部屋でとった。
給仕は近藤の女房のおつね・・・がしてくれるのだが、無口で陰気で、この女が給仕をすると、どんな珍味でもまずくなるような気がした。
歳三は食いものにはうるさいほうで、味付けのまずいものなどは、一箸ひとはしつけただけでやめてしまう。
ところがおつね・・・は料理がからっきし下手なのである。だから近藤家で食事をするよりも、近所の折助おりすけ相手の仕出し屋から好きな総菜そうざい をえらんで取り寄せるほうがずっと好きなのだが、近藤にはそういう歳三の気持などはわからない。
今夜の煮付は見たこともない妙な雑魚ざこで骨ばかり張っている、一箸つけると舌が縮むほど辛いのだが、近藤は平気で、
「食え、食え」
とさかんに食べている。めしは、麦が四分に古米が六分。
気の利いた職人なら吐き出してしまうようなめしを、近藤は六杯も七杯も食う。下あご・・が異様に大きいから、多少の小骨ぐらいならみ砕いてしまう。しかもあご・・が張っているせいか、物を食っている様子は、顔中で粉砕しているような感じだった。
「歳、どうした。腹でもこわしたのか」
「いや」
渋い顔で、
頂戴ちょうだいしている。うまい」
「そうだろう。おつね・・・いも近頃は、だいぶ腕をあげているはずだ。なあ、おつね」
(え?)
という表情で、おつね・・・は眼をあげた。
「聞いたか、歳が、ssほめている。この男がほめるほどだから、お前の調理もたいしたものだ」
(何を言ってやがる。いい男だが、舌だけは牛の皮で作ったような舌をもっている)
そう思って近藤の顔をまじなじ見ていると不意にその顔が、
「聞いたか、総司に」
「なにを?」
歳三は、とぼけてみせた。
「いやね、今日の午後、八王子宿から変なのが来てな、例の七里研之助てやつだ。いやな奴だが、腕は立つ」
「ふむ」
「例の六車宗伯のことがあるから、お前さんに何か云いがかりをつけに来たのかと思って対応すると、そうじゃない。試合をしたいと言うのだ」
「そのこと、聞いた」
「そうか」
近藤はやっと飯を喰いおさめて、その癖で食後の小用に立った。
御馳走ごちそうでした」
歳三がおつね・・・に一礼すると、おつねは食器を片づけながら、
── いいえ。
と、咽喉奥のどおくで答える。それだけである。歳三は、どうもこの女房が苦手だった。
やがて近藤が席に戻って来た・座につくなり、手に持った手紙を開いて、
「いま、三番町から利八(小者)が戻って来た。三番町(斎藤道場)では、明日のこと、引き受けてくれたらしい」

「たれが来るのだろう」
「今度は、あたらしく塾頭じゅくとうになった男だ。若いが、滅法出来るらしい」
「名前は?」
「桂小五郎、というようだな」
「・・・・」
歳三も近藤も、聞いたことがない。
もっとも桂の剣名は、すでに、江戸の筋の通った道場では鳴り響いたものだったが、この柳町の田舎臭い小道場までは、まだ聞こえて来なかった。場末の悲しさである。
(斎藤道場の塾頭ほどにもなれば、華やかなものだろうな)
歳三は、思った。うらやむわけではないが、おなじ塾頭という名はついても、なんとはなく、自分がうらぶれた感じに思えて来る。
2023/07/16
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