~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
桂小五郎 Part-01
「あれなるは、当道場門人戸張とばり節五郎せつごろう
と、近藤は七里研之助に紹介した。戸張とは、代人の桂小五郎のことだ。
「まず、当流の太刀癖をお知り願う上で、この者とお手合わせ願いたい」
「承知した」
うなずきながらも七里研之助は、うろんな表情を隠しきれない。戸張節五郎という剣客の名など、聞いたこともないのである。
見れば、小兵こひょうではないか。
(大したことはあるまい)
七里はそんな顔をした。
近藤道場では、三番町の震動無念流斎藤道場から人を呼んで来る場合、たれでも「戸張節五郎」という架空の名を用いる例になっている。
やがて、道場の隠居近藤周斎老人が現れて、
「わしが近藤周斎」
と、七里研之助に目礼し、ひょこひょこと道場の中央に進み出た。試合の審判をするためである。
六十三。
百姓ぜんとしている。近藤、土方、沖田はこの老人に手ほどきを受け、近藤、沖田はそれぞれ免許皆伝を受けたが、土方歳三だけはこの老人から目録しか貰っていない。
── としァ、腕は立つ。
周斎そう言っていた。
── 真剣でやればも危ねえだろう。が、あれは雑流だよ。天然理心流じゃねえ。いくら手直しをしてやっても、直しゃがらねえから、あいつは天然理心流では目録、我流では免許皆伝、それで十分なやつだ。
と、流儀にはなかなか手きびしい。
さて、桂小五郎が、立ち上がった。
ついで、七里研之助。
双方、道場の中央へ歩み寄り、講武所の礼法通り、九歩の間合いを取って目礼し、かがまりつつ竹刀しないを抜き合わせた。
桂は、述べたように小柄である。それが常寸じょうすんよりやや短か目の竹刀を軽々と頭上に漂わせている。
七里研之助は大柄のうえに四尺の大竹刀を使っている。どう見ても、見た眼の威圧おしが桂とは違う。
── 近藤さん。
と、歳三は、桂の方を見ながら低声こごえで話しかけた。
「負けるんじゃねえかな、あの男、どう見ても腰が浮きすぎている」
「そういえば、気組がないな」
気組、つまり、気力、気魄きはくのことだ。他流の技術偏重主義に対し、天然理心流ではこれをもっとも尊ぶ。いや、近藤勇の場合、剣術理論の上だけでなく人物鑑定にもこれを用い、あいつは気組がある、ない、というだけで、男の価値を決める癖があった。
「やはり、小才子にすぎねえな」
と、歳三はささやいた。歳三にすれば、七里研之助よりも、せっかくやとってきた味方の桂の方が憎い、といった口ぶりである。
「しかし、歳」
と近藤が言った。
「笑いごとじゃすまねえぜ。あの野郎が負けると、おめえか総司が、七里と立ち合わなくっちゃならねえ」
「真剣なら、やってもいい。七里研之助なんざ、あとあとまでたたりそうなやつだから、足腰の立たねえようにしておくほうがいいんだ」
「物騒なことを云いやがる」
そのとき、道場の中央では、周斎老人が手をあげ、
── 勝負三本。
と宣した。
2023/07/17
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