~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
桂小五郎 Part-03
試合が終わると、桂は不愛想な顔でさっさと身仕舞いをし、道場のむこうへ消えようとした。
「歳、茶菓の接待をしろ」
と、近藤はあわてながら、
「七里はわしが酒肴しゅこうで応接する。お前は、桂の方だ。帰りの駕籠かご支度したくを忘れるんじゃねえぞ」
「ふむ」
面白くねえ、と思ったが、歳三は道場を出て玄関の式台のところで、
「桂先生」
と呼び止めた。
「別間に支度がしてございますから、暫時ざいいじ、ご休息ねがいます」
「いや、いそぐ」
桂は、振り向きもしない。この場合、桂と歳三の位置を今日風こんにちふうにいうならば、総合病院の副院長と、町の医院の代診との関係を想像すればよかろう。
「しかし、桂先生」
歳三は、そでをとらえた。桂は振り向いてから、ぎょっとした。
そこに眼があり、歳三の憎悪ぞうおが燃えている。
桂は、気になった。
(なぜこの男は、こんな眼をするのか)
「では」
と、桂はおとなしく歳三に従った。支度は周斎老人の部屋に出来ている。
床柱の前に着座した桂に対し、歳三はことさらにうやうやしく拝跪はいきした。
「当道場の師範代土方歳三と申します。以後お見知りおきください」
「こちらこそ」
桂の頭は、軽い。
やがて、近藤の女房のおつね・・・が、茶菓を運んで来た。
これも陰気な女だから、一通りの挨拶はするが、愛想笑い一つしない。
おつね・・・は、茶菓のほかに、紙と銭を乗せた盆を桂の膝前ひざまえにすすめた。桂はれた手つきでそれを受取ると、ふところに入れ、あとは無表情に茶碗ちゃわんをとりあげた。
「桂先生」
歳三は、くそ丁寧に言った。年恰好かっこうは、歳三とかわらない。
「さきほど、おみごとなお試合を見せて頂き、眼福至極がんぷくしごくに存じました。あれほどの巧者な竹刀さばきは、甲源一刀流、天然理心流などのような田舎剣法では、とても及べません」
「いやいや」
「おかげさまにて、当道場の面目は発ちましたが、ただ後学のために伺いたいことがござります。先生の精妙な竹刀さばきは、打物が木刀真剣でもおなじぐあいに行くものでしょうか」
「わかりませんな」
桂は、相変わらず不愛想だ。歳三はなおも、
「天然理心流にしろ、甲源一刀流にしろ馬庭念流にそろ、武州、上州の剣術は、実践向きに出来たものですから、ついつい、道場剣術では、江戸の大流儀にけをとります」
「そうですか」
桂は、そんな話柄わへいには興味がないらしい。
「もしも」
歳三はにらみすえて、
「いかがでしょう」
「なにがです」
「あれが竹刀でなく真剣なら、七里研之助をああは容易に撃てたでしょうか」
「わかりませんな」
と、桂は言った。
相手にならない。田舎の小流儀派に教えに行くと、かならず歳三のような者がいて、
── 実戦にはいかがなものでしょう。
という。桂は馴れている。
「しかし桂先生、もしここに暴漢が居て、先生に襲いかかって来たらどうします」
「私に?」
桂は、はじめて微笑わらった。
「逃げますよ」
「・・・・」
歳三とは、まったく肌合はだあいの違った男らしい。
2023/07/17
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