~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
桂小五郎 Part-04
近藤は、自室で、おつね・・・に酒肴を出させながら七里研之助と応対している。
七里は、立てつづけに十杯ばかりを飲み干すと、
「いかがです、ひとつ」
「酒ですか」
「いや、試合のこと」
七里は皮肉な顔で、
「こんだァ、御当流のお歴々を八王子に招待したいが、請けてくれますか」
「さあ」
「八王子の酒はまずいが、剣の方は比留間道場をあげて十分におもてなしする。じつはそういう積もりがあって、このたび試合を申し入れたのです。いかがですかな」
「門人とも相談の上で」
「相談もいいが」
七里は、ぐっと飲み干し、
「代人は、断わりますぜ」
「え?」
「甘くみてもらっちゃ困る。知らねえと思っていなさったか。ああいう竹刀曲芸の化物のようなものを呼んでもたっちゃ困る、というんだ」
「そうかね」
近藤はけわしい顔をした。それっきり、ものも云わない。近藤の癖で、不利になると黙る。黙ると、すさまじい顔になる。
そこへ沖田総司が入って来た。酒間の周旋をするためである
「総司、こちら様はな」
と、近藤は言った。
八王子で試合をなさりたいそうだ。これは請けねばなるまいが、竹刀の曲芸ならいやだとおっしゃる」
「七里先生」
と、総司は向き直って驚いてみせた。
「真剣でやるとおっしゃるのですか。それァよくないご料簡りょうけんですよ。まるで合戦になってしまう。いまに、多摩の地は剣術停止ちょうじになりますよ」
「ちがう」
と七里は言ったが、追っつかない。
「日は、いつです」
「追って、おびする日は決める」
「しかし合戦に、日も約定やくじょうもありますまい」
「総司」
近藤が、むしろあわてた。
「さがってろ」
へっ、と総司はひきさがってから、廊下で歳三とばったり会った。
「桂先生は、もうお帰りになりましたか」
「帰った」
「大儀に存じます」
沖田は、おどじぇた。この男がおどけはじめると、ろくなことがない。
「土方さん、だいぶ、御機嫌ごきげんがよかありませんね。近藤先生も、ちょうでおなじ顔つきで、にがり切っていましたよ。」
「まだいるのか、七里が」
「いますとも。いるどころか、こんどは竹刀じゃなくて合戦はどうだ、と持ちかけています」
「うそをつけ」
歳三はどなったが、すぐ真顔になって、七里のことだ、やりかねまい、どんな話だったか、言ってみろ、と言った。
「いや大した話じゃありませんよ。まず、御当流の御一同を八王子に招待する、日は追って決めるが、竹刀じゃない、真剣で」
「と言ったか」
「うん」
沖田総司は、可愛かわいあご・・をひいてうなずいた。歳三は、道場の裏に出た。
その真黒い土の上に、大男の原田左之助が諸肌もろはだぬぎになり、村角力むらずもうほどある腹を天にむけ寝そべっている
2023/07/18
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