~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
桂小五郎 Part-05
この食客の日課である。腹に一文字の傷あとがあり、それがときどき思い出したように痛むので、毎日、時間を決めてに当てる
「原田君」
へっ、と起きあがった。
「君は、たしか人を斬ってみたい、といっていたな」
「いいましたがね」
不愛想な男だ。
ふとっちょだが、色白の上にひげのりあとが青く、眼が意外に涼しい。が、短気この上ない男で、近藤や歳三でさえ、この食客とものをいうときは、よほど言葉に注意をする。
「あるんだ、その口が」
と、歳三は、折れくぎをひろった。
歳三の癖で、すぐ地図を描く。が、それが誰が見てもありありとその場所を想像出来るほど巧妙だというから、この当時の人物としては珍しい才能だろう。
「これが甲州街道だ」
「ふむ」
「浅川が、北から流れている」
「八王子宿ですな」
原田左之助は、うなずいた。
いいな、と云いながら歳三は、次第に筋を複雑にして行って、やがて一点を指した。
「ここだ、原田君。明後日の夜には到着して泊っていろ。木賃宿きちんやどで、名だけは立派な江戸屋というんだ。委細は沖田総司に云っておくが、しかしこのこと、わか(近藤のこと)
と、親指を立てて、
「に云ってもらっては困る」
あとは、おなじことを、食客の藤堂ジェイ助、永倉新八にも告げ、最後に沖田総司を呼んでくわしく作戦を打ち明けた。
「いいか、みんなを連れて八王子に行くんだ」
「それで江戸屋に泊まって、土方さんの合図を待ってから比留間道場を襲うのですな。ところで土方さんは、どうなさるのです」
「おれか」
歳三はちょっと考えて、
つよ」
「いまから?」
「ああ、あの七里研之助が当道場を出ねえうちにこのまま抜け けて八王子へ行く」
「おどろいたなあ」
顔はちっとも驚いていない。
「それで、どうなさるのです」
「比留間屋敷を訪ねるさ」
「訪ねる?」
「兵は奇道だ。相手の喧嘩支度けんかじたくの整うのを待ってからっては戦は五分五分になる。おてが先発するのは、あの屋敷へお前らの人数をすらすらと引き込めるようにしておくのだ」
「軍師だな」
歳三は、そのまま発った。
八王子まで十三里。
途中。日野の佐藤屋敷の前を通る。むろん素通りである。
八王子に着けば、すぐ比留間屋敷を訪ねる。
といっても、尋常な手続きで訪ねられるものとは、歳三も思っていない。
2023/07/18
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