~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
スタスタ坊守 Part-04
やがて、明神の森に近づいた。
この森の祭神は、山城やましろ近江おうみの国境に横たわる比叡山ひえいざんの氏神で、日枝ひえ明神という。
おそらく、遠い戦国以前にこのあたりに叡山延暦寺えんりゃくじの寺領があって、その寺領守護のためにこの明神が板東地まで勧請かんじょうされて来たものだろう。
ほこらは、雑木林に包まれている。けやきの枝が街道に屋根をつくるようにしてしげり、星の光をさえぎって、下は洞穴ほらあなのようにみえる。
「原田君、大声で歌え」
と、歳三が言った。
「心得ました」
ふくろうが、いている。
── さあさ。
と、原田が歌いだした。
── みなさん、泉南善女。スタスタ、スタスタ、スタスタ坊主の、・・・・。
とまで言った時、横手の森の中から十二、三人の男が出て来て、ぐるりと二人を取り巻いた。
ここまでは、歳三の計算ずみである。
「おい、坊主」
と、一人が提灯を突きつけて言った。
「どこへ行く」
「ここは関所かね」
と、原田は言った。喧嘩けんか腰である。歳三はヒヤリとした。ここは下手したてに出て、出来れば事をおこさずに通過したい。(これは、役者選びを誤ったかな)と思った。
「こっちがこう」
原田左之助は、底さびた声で、
「このあたりは、伊豆の韮山にらやま代官支配の飛地とびちだと聞いているが、代官でも代わって、この天下の公道に関所でも出来たのか。それともうぬら徒党を組み、みだりに往来をやくして関銭せきぜにをかせぐとあれば、罪は九族まで獄門、天下第一の悪行だぞ。よく考えて返事をしろ」
「なにをほざきゃがる」
相手はひるんだが、歳三のそばに寄って来た一群が、
「うぬは、この願人坊主がんにんぼうずの供か」
と提灯を突き出した時、あっ、と声をあげた者がある。
「こいつだ、薬屋。──」
「どれどれ」
二、三人が、歳三の顔に提灯を突き付け、めるように見はじめた。
「おい、薬屋、頬かぶりをとってみろ」
面ずれのあとを見るためだ。
「へい」
と、歳三は小腰をかがめ、持っていたムシロを左わきに抱え、あごの結び目を解くふりをしてやにわにムシロの中の刀のツカをにぎって、スッと腰を落とした。
「あっ、なにをしやがる」
飛び退いたはずみに歳三の刀が跳ね上がって、相手の裏籠手うらごてを抜き打ちにった。腕が一本、提灯を握ったまま素っ飛んだ。
その時、スタスタ坊主の原田も踏み込んで、わっと刀を横にぎ払った。
みな、ばたばたと飛び退いた。
あとへ、後へ」
と下知者が、あわてて叫んだ。
「輪をひろく巻け。相手は二人だ」
しかも、歳三、原田は、これを目印に斬ってくれと言わんばかりに、でかでかと大きい提灯を腰にぶら下げている。
「原田君、まだ仕掛けるな」
「なぜです」
「待つんだ」
歳三は、落着いている。甲源一刀流の連中は、歳三のわな・・にかかりつつある。
この戦法は、後年、会津戦争の時、山中で薩長土の士官をさんざんに悩ました手である。
実を言うと、沖田、藤堂、永倉の三人の闇組が、沖田は雑木林の中から、藤堂は田圃たんぼの中から、永倉は往来の東から、そっと忍び寄っていた。
このあたりの村の若衆が、祭礼の夜など、他村の者と喧嘩をする時には、たいていこの流でやる。
三人はそれぞれの場所で、起きあがった。
「わっ」
とは言わない。人数が知れる。
無言で、ただひたすらに手足を動かし、背後から、木刀で、出来るだけ素早く後頭部をなぐってゆくのだ。
藤堂は、三つなぐった。
永倉新八は、右面、左面と交互になぐってまたたく間に六人を昏倒こんとうさせ、沖田総司は真剣をふるって群に中に飛込み、提灯を切り落としては、一つずつやみを作った。
っその混乱に、歳三と原田左之助は、正面から斬り込み、籠手ばかりを狙って手当たり次第に斬りまくった。
比留間勢は、どっと西へ崩れた。闇の中で、しかも背後からの無言の奇襲というのは、よほど大人数かと錯覚させるものだ。
退け」
比留間勢の下知者はわめいた。
わっと算をみだして逃げ出したが、歳三たちも、同時に東に向って飛ぶように逃げ出した。喧嘩はしおなのだ。ぐずぐずしていれば、千人町からの人数がけつけて来るに決まっている。
2023/07/23
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