~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・上 』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
疫 病 神 Part-03
秋も暮れた。冬になった。
道場には、相変わらず食客がごろごろしていて、水滸伝すいこでん中の梁山泊りょうざんぱくのような観を呈していた。こういう連中が集まって来るのは、近藤の奇妙な人徳といっていい。
どこか、抜けている。
その抜けているところがこn町道場の気風をつくっていた。気楽だし、大きいな顔をして台所飯を食っていられる。
食客にも、いろいろある。
伊勢の津の藤堂様のご落胤らくいんだと自称している江戸っ子の藤堂平助(北辰一刀流目録)や、松前藩脱藩で神道無念流の皆伝を持つ永倉新八、播州ばんしゅう明石あかしの浪人斎藤はじめ などは、それぞれ他流を学んだ連中で、彼らは、天然理心流の近藤、土方、沖田とちがい、竹刀しないさばきが巧妙だから他流試合に来る連中の相手をする。そのために飼われている、というより、そういう役目があるから道場のめしを無代ただで食うのは当然だが、伊予松山藩の中間くずれの原田左之助などは、根が槍術そうじゅつなのである。宝蔵院流槍術を大坂松屋町まつやまち筋の道場主谷三十郎(のち原田の引きで新選組に参加)にまなび、谷から皆伝を受けたが、剣術はあまり精妙ではない。
無双の剛力で、しかも度はずれた勇気を持つ点では、源平時代の荒法師にような男だが、他の食客のように剣の代稽古で食扶持くいぶちをかえすというわけにはいかない。
「こまったな、こまったな」
と言いながら、台所の隅でいつも飯を食っている。
道場は、窮乏している。
が、原田は食わざるを得ない。しかもなみはずれた大飯である。
「原田君には飯櫃はちを一つあてがっておいてやれ」
と近藤はいつもそう言っていた。
── 近藤さんには、将器がある。
と評したのは、食客の最年長(二十九歳)の仙台伊達だて藩脱藩の山南やまなみ敬介で、土方歳三はわずかばかりの学問を鼻にかけるこの男があまり好きではなかった。
「山南はきつねだ」
と、かつて沖田にらしたことがある。せがたでからびたしたり・・・顔を見ると、歳三はむしず・・・が走るような思いがする。
もともと、仙台、会津といった東北の雄藩は、藩教育が徹底しているから、山南は筆を持たせるとじつにうまい文字を書いた
(筆蹟のうまい奴には、ろくな奴がない)
とも、歳三は沖田に言った。
歳三のりくつでは、文字のうまい才能などは、要するに真似まねの才能である。手本の真似をするというのは、根性のない証拠か、根性が痩せっからにている証拠だ。真似の根性はしょせん、迎合阿諛げいごうおべっかの根性で、証拠に茶坊主、町医、俳諧師はいかいしなどお大尽の取り巻き連中は、びっくりするほど巧者な文字を書く、というのである。
もっとも沖田は
── 土方さんは、なにもかも我流ですからな。
よからかってはいたが。
山南は、剣は出来る。神田お玉ヶ池の千葉道場で皆伝まで行った男である。しかしその剣には、近藤が常時いう「気組」が足りなかった。やはり性格なのだろう。
(この性格が、のちに山南をして自滅させることにいたるのだ)
山南は顔が広い。
2023/07/27
Next